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「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

2007.11.17

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公開中の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観賞。


監督・脚本:山崎貴 原作: 西岸良平 脚本:古沢良太 主題歌: BUMP OF CHICKEN 出演: 吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子、須賀健太、小清水一揮、小日向文世ほか  上映時間:146分 配給:2007日/東宝


昭和30年代という、ちょっとやそっとではふり返れない時代背景と、そうした当時を鮮やかによみがえらせる大道具&小道具、マニアックなまでに芸の細かい映像、プラス、これ以上ないほどのノスタルジーをつめ込んだ脚本を推進力にしながら、日本人のDNAに間違いなくストライクボールを放り込む群像街角人間ドラマ『ALWAYS ・三丁目の夕日』。


続編となる本作は、手探りだった前作よりも個々のキャラクターが整理・確立されており、ほのぼのとあたたかいドラマに感情移入しやすくなっている。この映画のスゴイところは、物理的なものから精神的なものまで、現代人が捨て去ってきたあれこれを、ていねいに拾い上げ、磨き、光らせていることにある。なおかつ、忘れかけていた大衆娯楽映画の魅力までをも思い出させてくれるとは、なんとも粋である。


作品の解説はあまたあるレビューに譲るとして、昭和30年代と現代を思い比べての雑感を書こう。


昔と今がどちらが幸せかなんてことを考えるのはナンセンスなことなのだろう。昔は昔で楽しいことも苦しいことも、いいことも悪いこともあったのだろうし、現代も現代で両方ある。昭和30年代と現代。大きく変わったとも言えるし、何ひとつ変わっていないとも言える。


ただ、人と人との共通項が圧倒的に少なくなった、のは事実だろう。共通項が少なくなった、は、あらゆるモノが増えた、と言い換えてもいい。


食べ物、製品、情報、サービス、権利、お金、生き方、個性、人口(これは最近減少傾向)……すべてのモノと選択肢が増えた。モノだけでなく、あらゆるモノの速度(たとえば乗り物)、距離(ひとが出かける範囲)、高さ(たとえばビル)、深さ(たとえば地下鉄)など、すべてのサイズがアップした。


何千倍、何万倍なんていうレベルではなく、無限大に増殖・拡大した。それらによってもたらされた恩恵がどれほど大きなものかは言うまでもない。日本は世界有数の恵まれた先進の都市国家なのだから。ただ、それほど恵まれた国に住む日本人が、『ALWAYS ・三丁目の夕日』に懐古以上の“何か”を感じるのはなぜだろう。


家にテレビが来たことで町中が大喜びしていた日本人は、その約60年後には、“どこそこのメーカーが新発売した超薄型&大型&高性能な壁掛けテレビ”の話題でなければ、交流できなくなってしまった。——ということはないだろうか?


メーカー同士のあいだにも、旧型と新型のあいだにも、ブラウン管とプラズマのあいだにも、プラズマと液晶のあいだにも、壁掛けと床置きのあいだにも、うっすらと溝らしきものがある。よく見ると世の中は溝だらけで、もはや、遠慮なくヨソ様の家に上がり込める“溝なき時代”とは別世界である。


だからといって、「共通項が少なくなった=交流が減った」などと短絡的なことを言うつもりはない。事実、現在は電話やメールやネットを通じて広範なエリアの人たちと交流することもできるようになった。つまり、コミュニケーションの質が「狭く&深く」から「広く&浅く」に変化したということなのだろう。


ところが、「広く&浅い」付き合いをする現代人は、「狭く&深い」付き合いをする昭和30年代の人たちに、なんとなく、うらやましさを感じている(断定するつもりはないが……違うだろうか?)


それはなぜなのだろう? 単なるないものねだりなのか、あるいは、人間の本質的な欲求として「広く&浅い人間関係」よりも「狭く&深い人間関係」に指向性があるのだろうか? その答えは、私ごときに導き出せるものではない。


それでもひとつ言えるのは、人間がじかに触れ合うなかで生まれる、争いや誤解、憎しみ合いよりも、人間がじかに触れ合わないことによって生まれる、それらのもののほうが、圧倒的にタチが悪いということだ。それは、たとえば、現代のインターネット上にはびこる悪意に満ちた有象無象を見れば瞭然だろう。


「広く&浅い」までならまだしも、現代は、その先にある匿名の時代へと足を踏み入れている。そこまでくると、もはやそれは交流ですらない。なにもインターネットに限ったことではない。あらゆるメーカーが平気で偽装をするのは、そこに匿名が作用しているからにほかならない。町に根づいた大福もち屋が地元の消費者をだますことは、その町の一員として生きて行こうと考えている限り、そう簡単にできるものではないはずだから(大福もち屋の利益という観点からも)。


匿名は人を悪意へと導きやすい——。残念ながら、このことは現代社会が証明したひとつの事実だと思う。そして、「広く&浅い人間関係」と「狭く&深い人間関係」のどちらが、匿名に近い関係を生み出しやすいかは、言わずもがなだろう。


そんな匿名希望の時代に、本作『ALWAYS ・三丁目の夕日』が受け入れられるのはうなずける。人間同士が触れ合いながら生きることは決してラクではないが、そこで得られるものは、まさしく現代人が渇望しているものなのだろう。


大衆娯楽映画の代表作といえば、昔は『男はつらいよ』で、今は『釣りバカ日誌』だろうか。それぞれに魅力的な主人公がいる。一方、『ALWAYS ・三丁目の夕日』は、ひとりの主人公の魅力ではなく、群像スタイルで物語を作り上げている。そこにもヒットの要因があるように思う。時代が求めているのはヒーローでもスターでもなく、ダレもが人生の主人公であるという群像の意義そのものなのだろう。


多様化・肥大化した現代に送る、矮小化された世界での人々の交流を描いた『ALWAYS ・三丁目の夕日』は、現代の日本人に人生や幸せの意味を問いかける作品である。お客は、遠慮なく彼らの世界に上がり込み、大いに笑って泣いて胸キュンすればいい。匿名という緊張感を強いられたこの時代に、つかの間の幸せにひたれる映画が少しくらいあっても、バチはあたるまい。


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