「ユタと不思議な仲間たち」
2008.7.19

劇団四季のミュージカル「
企画・演出:浅利慶太 原作:三浦哲郎(新潮社刊「ユタと不思議な仲間たち」より) 作曲:三木たかし 作詞:岩谷時子、梶賀千津子 振付:加藤敬二 装置:土屋茂昭 照明:沢田祐二 台本:梶賀千津子
舞台は東北の山奥の村。父を亡くし、東京から母の故郷の村へ転校してきた勇太は、村の子から「ユタ」と呼ばれ、いじめられていた。ある日、村の老人から「座敷わらし」にまつわる不思議な言い伝えを聞くと、座敷わらしに会うべく、満月の晩、大黒柱のある旧家の座敷でひとりで泊まる決心をする……。
“いじめ”をテーマにした劇団四季のオリジナルミュージカルだ。2008年は全国67都市を回り、全国で5万人の児童と生徒を招待している(私が観劇したのは、埼玉県富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ」)。
いっさいのセリフを排除して、ユタが執拗にいじめを受けるシーンを延々と見せる導入部が印象的だ。観客は嫌が応にも、不遇をかこつユタに感情移入せざるを得なくなる。
追いつめられたユタは、人生に対して投げやりになるが、そんな彼に手を差し伸べたのが、5人の「座敷わらし」だった。彼らは、若くして亡くなった自分たちの哀しい過去をユタに伝える。生きたくても生きられなかった命のことを。ユタは、哀しい過去を持ちながらも、あの世でもこの世でもない世界で明るく前向きに生きる彼らの姿に、“何か”を感じ取る。
ユタは、座敷わらしとの交流を通じて、“勇気を持つことの大切さ”や“、生きることの大切さ”、“友達の大切さ”、“信じる気持ちの大切さ”などを学び、人間的に成長していく。と同時に、「もやしっ子!」とバカにされていた体を鍛えはじめ、最後には、いじめっ子たちと対等以上に渡りあう。
いつしか、ユタをいじめる者はいなくなっていた——。
このように、物語自体は、いじめを克服するひとりの少年の姿を描いたものだが、見逃せないのは、その全編を通じて、あるひとつの大きな(重要な)メッセージが発せられていることだ。
それは——“人間は決してひとりぼっちではない”というもの。
太陽の光、吹き抜ける風、葉擦れの音、川のせせらぎ……自分の周りには、「あなたはひとりじゃないよ」と教えてくれる何者かがいる。それを心から信じた人だけが、彼らからのメッセージを受け取ることができるのだ。ユタにとっての座敷わらしは、まさしくその証左といえよう。
目に見えない何者かの存在を信じるか信じないか、彼らからのメッセージを受け取るか受け取らないか、それは、一人ひとりの人間の気持ちと心がけ次第である。
人間は決してひとりぼっちではない——。そのことに気づくことは、人生の素晴らしさを知ることにほかならない。ひいてはそこに、いじめを克服するヒントさえ隠されている。
終盤、いじめを克服したユタのもとを、座敷わらしは去ってしまうが、そこに定型的な悲観やノスタルジーをもたせていないのが、本作「ユタと不思議な仲間たち」だ。彼らは物理的に見えなくはなるが、心を静め、感性を研ぎ澄ませば、ユタはいつだって彼らと通じ合うことができるのだ。本作を観劇した子供たちも、おそらくは、そのことを理解したであろう。
セリフに東北弁を用いているが、これが、よそ者を自認するユタへの感情移入を後押しする装置として効果を挙げている。また、光や水を駆使した幻想的な舞台演出、ロックから演歌まで幅広いジャンルの楽曲に合わせて歌われる歌、タイミングよく挟まれるコント仕立てのやり取り、空中でクルクルと回る曲芸フライング……等々、平易なストーリーのなかにも、子供たちの感覚と感性をあらゆる面から刺激する演出が施されている。
「ユタと不思議な仲間たち」は、それを観ること自体が、子供たちの大きな経験となりうる演目である。未知なる世界に興奮し、感性と想像力をフルに働かせて、子供たちなりに、生きるうえで必要な何かを感じ取ることだろう。テーマは大まじめだが、5人の座敷わらしの明るさが、重苦しさを取り除き、作品をエンターテインメントへと昇華させている。
本作に登場する座敷わらしは、ダレもの心の支えとなる、シンボル的存在として描かれている。その存在に気づいたとき、老若男女を問わず、人はまた少し成長するのかもしれない。
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