「南十字星」
2008.8.20
劇団四季のミュージカル「
企画・構成・演出:浅利慶太 台本:劇団四季文芸部、浅利慶太、田中浩一、藤川和彦、前田貞一郎、湯川裕光 作詞:浅利慶太 作曲:三木たかし 振付:加藤敬二 美術:土屋茂昭 照明:沢田祐二 衣裳:小林巨和 音楽監督:鎮守めぐみ 編曲:寺嶋民哉、山下康介、宮野幸子 ガムラン音楽製作:和田 啓
浅利慶太(企画・構成・演出)が書き下ろした「昭和の歴史三部作」の第三作。 ※第一作の「李香蘭」のレビューは
太平洋戦争開戦前夜。京大生の保科は、祖国に帰ることになったインドネシア人の恋人ニナと再会を約束して別れる。その後、太平洋戦争が開戦すると、オランダ領のジャワ、スマトラを日本軍が占領。従軍していた保科は、現地でニナと再会を果たすが……。
「李香蘭」や「異国の丘」同様、戦争に対するスタンスは、本作でも一貫している。戦争の残酷性をストレートな描写でつづるでも、あるいは、ステレオタイプな視点で批判するでもなく、“戦争”というタチの悪い魔物が住み着いた時代のなかで翻弄される人々の姿を描くことにより、現代社会に重要なメッセージを発している。
インドネシアにおける日本軍の立場という、(知っていそうで知らない)知識を観劇者に分かりやすく伝えながら、クライマックスに向けた伏線は、さり気なく積み重ねられていく。そう、主人公が絞首刑台に送られるまでの伏線を。
自軍、敵軍(オランダ兵)、現地人(インドネシア人)に対して分け隔てなく接する主人公の保科。憎悪が渦巻く時代において、保科の正義感に基づいた思考と行動には目を見張る。がしかし、ちょっとした誤解が災いして、彼はBC級戦犯として捕らえられ、最後には絞首刑台へと送られるのだ。
万人に平等を貫いた保科の死は、戦争が作り上げた“不条理”の象徴のようでもある。にもかかわらず、保科自身は、その絞首刑を“日本の未来のため”と甘んじて受け入れる。
実は、そんな彼に死を決意させたのは、先に絞首刑台に送られた島村中将の言葉であった。島村は、戦犯裁判そのものに疑問を抱く保科に、“自分が死ねば、敵の報復心を和らげることができる。ひいてはそれが日本のためとなる”と覚悟を語ったのだ。保科はおそらく、その言葉を自分の身にも置き換えたのだろう。
BC級戦犯を含めて1000人以上の人間が処刑された戦犯裁判の事実には、改めて考えさせられるものがある。彼らを絞首刑台へと送り込んだものは何だったのだろうか? もちろん、なかにはやむを得ない人もいただろう。しかし一方では、冤罪も少なくなかったと歴史は伝える。そもそも戦犯を裁く基準とはどういうものなのか? 答えのない堂々巡りの自問自答は、観劇後もそう簡単には消えない。
無条件降伏した日本が、戦犯裁判に異議申し立てをすることはできなかった。たとえそれが不公平かつ不公正なものであれ——。それは、敗戦国に突きつけられた紛れもない事実だ。そして、その紛れもない事実が、銃声の音すら知らない現代社会に、真の“平和”の意味を投げかける。
祖国の土地も踏めず、愛する人とも結ばれず、この世に別れを告げた保科。彼と似た運命をたどった多くの戦犯。そんな彼らの屍が現代社会の礎になっていることに、改めて言いようのない感慨を得る。
ステージ上に本物の水を貯めて水田を表現した舞台美術や、異国情緒あふれるマレーシアの伝統芸能の再現など、視覚的な見どころが充実しているうえ、保科とリナを演じたキャストの安定した歌唱も魅力十分。“戦時”という背景を従えつつ、ひとりの青年の実直で勇敢な生き方を描いた本作「南十字星」は、重要なワンテーマを、色濃く、太く、描いた秀作といえよう。
派手なエンターテインメントを求める方には、オススメできない作品である。
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