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あの日、田尾安志はフルスイングで抗議した

2005.9.27


楽天の田尾監督が3年任期の2年を残して解任。監督としての手腕のほどは分からないが、戦力からすると、よく戦ったという印象。一軍半と二軍レベルの選手が1年間プレーしたのだから、選手たちもきっと伸びているはず。シーズンオフの補強は最低限必要ながら、来年、3年後、5年後と強いチームになっていくことは間違いないだろう。結果的に、田尾監督にもっとも厳しい1年目だけを押しつけた感は否めない。


ところで田尾というと巧打者というイメージがあるが、私にとっての田尾は気迫の選手であった。


どうしても忘れられないシーンがある。


——1982年、田尾安志(中日)はシーズン終盤、首位打者争いをしていた。10月16日の時点で首位打者は長崎啓二(大洋)で.351。田尾は打率は345で2位につけていた。


10月17日はくしくも大洋×中日戦だった。長崎は逃げ切りを図るために、この日の試合を欠場。ところが、出場した田尾はヒットを量産して、5打数4安打で打率を.3501まで上げる。あと1本ヒットを打てば、打率.3514となり、.3510の長崎を逆転することになった。


翌10月18日も大洋×中日戦。長崎は欠場。大洋は長崎を援護射撃すべく、田尾を徹底的に歩かせる作戦に出た。結果、田尾は第4打席まですべて敬遠。


そして運命の最終打席は8回、1死1塁で回ってきた田尾の第5打席。大洋はやはり敬遠策を貫いた。


しかし、である。カウント0-3となった田尾は、敬遠球をフルスイングしたのである。空振り。観ているだれもが言葉を失った。田尾の無言の抗議。カウント1-3からの敬遠球もフルスイング。その形相はまさしく鬼のようであったと、テレビを見つめる10歳の私は記憶している。


カウント2-3となり、コーチが慌てて田尾のところへ飛ぶ。おそらく田尾をなだめたのであろう。田尾は次の敬遠球を見送り、5打席連続四球。この時点で1982年の首位打者は長崎に確定した。


田尾は、わずかヒット1本差で敗北を喫した——。


5打席連続敬遠というと1992年、甲子園での松井秀喜(星稜高校)が後世に語り継がれているが、私にとっての5打席連続敬遠といえば、松井からさかのぼること10年前の、田尾安志の印象が強い。

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