「キャッチボールで6000万円」に物申す
2005.2.19
公園でキャッチボールをしていた児童2人のボールが1.5m離れていたよその小5男児の胸にあたり死亡した事故で、裁判所は児童2人の両親ら被告に6000万円の支払いを命じたという。
事件の仔細を知らずに意見することに後ろめたさを感じつつも、あえて書くなら、このニュースを聞き「ますます住みにくい世の中になっていくなー」という寂しさを感じた。
裁判官いわく「(児童には)危険な場所でのキャッチボールを避ける注意義務があり、ボールが人に当たると死を招くこともあると予測できた」という。
予測と言われれば……できないこともないのかもしれない。
でも、そんなことはこの世の中に山ほどあるのも事実だ。
50km/hで走るクルマが路肩を走る自転車の横を通りすぎることはないだろうか? 酔っ払いがホームから転落して命を落とすのはホームに柵が設置されていなかったからなのか?
公園のジャングルジムや滑り台、昇り棒、回旋遊具は、それ自体が凶器とはいえないだろうか? 家庭にあるガスコンロや扇風機、ミキサー、ポット、ライター、ハサミ、包丁……そんなものは、危険だから発売禁止にしてしまえばいいだろう。
自由に滑れるスキー場も危ないし、どこからボールが飛んでくるか分からないゴルフ場も危ないし、雪合戦も危ないし、幼児をクルマに乗せることも危ないし、満員電車も、睡眠薬も、お箸も、エスカレーターも、コンタクトレンズも、カミソリも、タバコも……全部危ないからなくしたほうがいいだろう。
と皮肉の一つもいいたくなる。
世の中には危険が満ちあふれており、人間にはそれらの危険を自覚しながら生きることが求められているはずである。ましてや今回キャッチボールをしていたのは子供である。なにゆえ彼らが「誰かの死を招く危険性の有無」に神経をとがらせながら遊ばなくてはならないのだろうか。
そもそも彼らが予測できたのは、「誰かにボールが当たるかもしれない」というところまでで、「誰かにボールが当たって死ぬかもしれない」というものではなかっただろう。
もちろん「児童は想像力を働かせる必要もないし、他人を傷つけないよう努力する必要もない」と言いたいわけではないし、私の考えはむしろ逆である。ただ、その過失を法律で咎めてしまうことに納得がいかないだけである。司法が判決を下すということは、そこに一つの制限を加えるということである。
キャッチボールは一体どこでするものなのだろうか? 公園で危険を学ばなかったら、子供たちは一体どこで危険を学ぶというのだろうか? と書いたところで、公園には「キャッチボール禁止!」の立て看板が増える一方なのだろうが。
子供たちの危険回避能力の育成を著しく妨げる危険性のある今回の判決に苦言を呈したい。
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