“苦しめるもの”が天職
2005.2.13
最近取材したある方がこんなことを言っていた。
「残念ながら、人が一生で極めることができる専門分野はひとつがいいところだろう」
異論なし。
もちろん、優れた人というのはいるもので、一生を通じてふたつも三つも専門分野を極めてしまう人もいる。けど、ふつうは良くてひとつだろう。
では何がその人にとって専門になりうるのか?
私は、自分が「苦しめるもの」だと思う。
「えっ、苦しくないものでしょ?」と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
たとえば、私はモノを書くことを職業をしているが、3日も4日も連続で徹夜しようと本気で発狂することはない。眠たくて、休みたくて、遊びたくて仕方がないにもかかわらず、発狂はしない。私はこの仕事が好きなのである。
しかし、好きならば、当然楽しいのかといえば、答えはNOだ。好きでも壁にぶちあたることがある。いや、壁だらけだ。たった3行の文章が何度書いてもよくならないことがある。好きだけど、苦しいと思うことがやたらと多い。
そうしたときに、苦しみのなかに飛び込んでいける人は、その道を極める資格のある人。諦める人はその道を極める資格のない人。そう思うのだ。
もしも私が苦しみから逃げてばかりいたら、たぶん仕事にかける労力はいまの半分ですむ。だが、一年後には依頼される仕事も半分になっているだろう。
いまこの瞬間というのは常に「過去の遺産」である。いま忙しく仕事ができているのは、過去の自分が残してくれた遺産である。
1本の原稿があったとする。それを書くのに30分かかったとしよう。するとそこから推敲して書き直す作業が、私の場合は1時間。どうしてもしっくりこなかったら、それがたった3行であっても、2時間でも3時間でも1日でも納得するまで粘る。
それがすべてだ。私の生命線。
よく「すらすら文章が書けていいですね」と言われる。
それは大きな勘違いだ。自慢ではないが、私は文章がすらすら書けるほうではない。
だからこそ徹底的に頭を使うし、そこに費やす時間はいとわない。そこでジタバタしなければ、明日にでもお払い箱の身である。
もちろん究極的には最初の30分で完ぺきな文章を作ることがベターであり、そこに目標を置いてもいる。
ただし、いくらスキルがアップしたとしても、基本的な考え方は変らないと思う。
先日、ある画家に電話取材をしたが、自分の描いた作品に納得がいかず、一から書き直したことが山ほどあったそうだ。その方にとっては、絵を描くことが、自分が「苦しめる」対象なのである。
苦しくてもがむしゃらになることで、見えてくるものもあるだろう。
それを成長と呼ぶ。
骨が伸びるのだから、少しばかり痛いのはあたり前。
「若いときに流さなかった汗は、年をとってから涙にかわる」
だれかがそんなことを言ってた。
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