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「ホワイトバンド」について

2005.12.3


数ヶ月前から話題のにぼっていた「ホワイトバンドは詐欺の可能性あり」という批判に対する私見。


「慈善」に対する「偽善という見方」は、何も今に始まったことではない。そもそも慈善というのは、他人が評価できる類のものではないだろうし、他人が評価すべきものでもない。もし評価していいとしたら、自分自身か、あるいは手を差し伸べられた側の人々であるべきだろう。


ホワイトバンドの主旨を「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」のHPの言葉を借りて説明するならば、「世界の貧困は、それを作り出す構造そのものを変えていかない限り、なくなりません」ということに尽きる。


言うまでもなく、募金が無意味というわけではない。ただ、募金だけで貧困問題が根絶しないことは、すでに歴史が実証している。そういう意味でも、募金活動とはまた別の視点から、貧困問題の本質的な解決策を探ろうという「ほっとけない〜」の試みは、大いに評価すべきことではないだろうか。


「ほっとけない〜」は、貧困問題の現実をより多くの人に広めると同時に、貧困撲滅を政治的な手段に訴えていくことを目的にしている。その主旨に賛同した人が300円を払いホワイトバンドを購入する——この売買に、詐欺に相当する法律上の罪があるとは思えない。


そもそも「ほっとけない〜」の実行委員会は、一般企業のような利益追求集団ではない。がしかし、一方では、キャンペーンを行う以上、運営資金は当然必要である(まずはここでのボタンの掛け違いをなくしたい)。


もし「この売上金は全額チャリティとして寄付されます」と言われてホワイトバンドを購入した人がいるのであれば話は別だが、そうでなければ、「詐欺だ」と声を上げること自体が筋違いのように思える。300円を支払ったのは、「ほっとけない〜」の活動に理解を示し、その活動に対して(見返りのない)出資をした人々ととらえるべきではないだろうか。ごくごく単純に。


「ホワイトバンドは詐欺なのでは?」という声が上がった当初は、HPでのアナウンスなどに不備が見られたようだが(「腕につけるものは公式なホワイトバンドでなくても構わないという明示がされていない」「売上金の使途があいまいである」など)、現時点でHPに公開されているホワイトバンドの主旨、および売上金の使途報告(ホワイトバンドの制作費、流通費のほかに、運営費として用いられているということ)は、十分に理解、納得の行き届く範疇だと思われる。たとえ、売上金に余剰が生じたとしても、その使途は、専門性のあるスタッフに考えてもらえばいいのではないだろうか。


それが“出資をする”ということである。


今回の一件で、ホワイトバンドにマイナスイメージがついたのは事実だが、前向きにとらえるならば、いろいろな不満や指摘を外野から受けることは、それほど悪いことではない。関心や注目度が高まれば、周囲からの指摘が厳しくなるのは当然のこと。もしこのキャンペーンが本当に詐欺であるならば、化けの皮がはがれるだけであり、ホンモノであれば、襟を正すべきところは正し、より主旨を正しく伝えるためのいい機会ととらえるべきである。


冒頭にも書いたが、「慈善」に対して「偽善という見方は付き物」である。突っ込み所の宝庫と言ってもいい。ゆえに、「慈善」を貫くのであれば、そうした誹謗や中傷に耐えながら進むことも、使命として受け入れていくしかないだろう。


もちろん、ホワイトバンドへの批判のなかには、建設的な意見、ごもっともな指摘もあるだけに、常に是々非々の対応ができる柔軟性だけは持ち合わせておくべきだと思う。ただし今回の件に関しては、「ほっとけない〜」の活動自体をやみくもに糾弾し、改善の余地さえ与えまいとする意見が目立つのが少々残念なところである(インターネットの匿名性の問題もはらんでいるが)。


それにしても、「自分はいい物を食べておいて何が貧困問題の解決だ」的な意見のように、「個人の生活」と「意識問題」をごっちゃにしなくては気が済まない人間が多い日本では、ボランティアやチャリティを含めた慈善活動がいかになじみにくいものかを、改めて教えられた気がする。


「ほっとけない〜」のHPに、ある中学三年男子の寄稿が掲載されている。


「人類が貧困や争いで苦しめあって絶えるより、太陽が燃え尽きるまで皆が少なくとも毎日普通にご飯を食べられるくらい平等な世界で暮らしていけた方が気持ちよくないですか」


おそらく、彼の言っていることを「理想論」と一蹴することは、「慈善」を「偽善」だと決めつけるのと同じくらい簡単なことだろう。とくに、理想を語らなくなり、なおかつ、その理想に足の裏を向けて寝るようになった私たち日本の大人にとっては。


理想主義と現実主義はよく対比されるが、どちらがその根底にあるべきかと考えたとき、私は迷うことなく理想主義に軍配を上げる。理想とは自分の行きたい場所のことであり、そこに行くためには否が応でも現実的な問題をクリアしていかなければならないのだから。


いずれにせよ、「慈善」も「宗教」と同じで、“押し付けないこと”が最低限のルールであり、あらゆる活動や団体については、個々人が納得いくまで精査したうえで、自己判断を下すことが大事である。人間は自分で決断しないものに対しては責任を負いたがらないが、自分で決断を下したことには責任を負おうとするものではないだろうか。

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