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仰木監督の訃報

2005.12.16


今から10年以上前の夏、
僕が伊豆は下田のリゾートホテルでバイトをしていたときのこと、
当時近鉄の監督を務めていた仰木監督が
シーズン中にもかかわらず、ビーチに現れた。
現れたといっても、ビーチには誰一人いなかった。
台風が接近していて、波が荒れに荒れていたからだ。
ビーチの係をしていた僕と友達2人は、ほぼ開店休業状態だった。


「えっ」と思う間もなく、仰木監督は服を脱ぎ捨て、
海に駆け込んでいった。
誰もいない、荒れ狂う海に。
子供のような人だと思った。
ビーチの係を務めていた僕たちは
仰木監督からあずかったサングラスをかけまわし、
ケラケラ笑いながら記念撮影をした。


20分ほどしてから仰木監督は海から上がってきた。
豪快にシャワーをあび、僕たちから服を受け取った。
そして、快く記念撮影に応じてくれた。
「海に入りたくて来たのに、海に入らないのはもったいないから」
僕らの質問に、仰木監督はそんなふうに答えた。
たしか、その年の近鉄は、優勝した翌年かなにかで、
あまり成績がかんばしくなかった記憶がある。
シーズン中に、わざわざ伊豆の南端にまで足を運び、
海に入ろうとした仰木監督の気持ちが、今は少し、わかる。


夜、友達とホテルのサウナに入ると、
そこにも仰木監督がいた。
小さいサウナには、僕と友達2人と仰木監督。
「今年の近鉄は調子が悪いですね」と話しかける僕たちに、
仰木監督は「ああ、よくないね」とうなずき、
続けて、マスコミにも話さないような自己分析を話してくれた。
そして「君たちも野球をやってたのか」と
きさくに話を向けてもくれた。
ふくらはぎの筋肉が隆起していて、
小さくてもやはりプロ野球選手なんだ、と、
僕は妙な感心の仕方をした。
何分ももたない僕たちをよそ目に、
仰木監督はたっぷりと汗を絞り出し、サウナを出ていった。


イチローや野茂や田口などを育てた仰木監督は
たしかに偉大な監督なのだろう。
だけど、仰木監督の人間的なスゴさは、
何も監督が名選手を育てたからだけではないだろう。


僕らのような、仰木監督の人生と何ら無関係な、
どちらかというと礼節を欠く野次馬的な若者に対しても、
嫌な顏一つせず、対等に話をしてくれる、
そういうところにあったのではないだろうか。


すでに大監督であった方を指していうにはお恐れ多い話だが、
僕はあのとき、「この人は本当にスゴい人間だ」と思った。
そして、イチローや野茂の、
何千分だか何万分だかの一でしかないが、
仰木監督から人間の「器」というものを教わった。
たった数分の会話のやり取りで、人に何かを学ばせてしまう…
それって一体何なのだろう、と今でもときどき考えさせられる。


おそらく仰木監督を知る人たちのなか、
あるいは、一瞬でも接したことのある人たちのなかに、
氏のことを悪く言う人は、一人もいないだろう。
どれだけ多くの人を元気づけ、勇気づけ、幸せな気分にさせたか、
そんなところに人間の価値はあるのかもしれない。


「勝ち組・負け組」といったくだらない価値観が堂々と流布され、
妙な個人主義が幅をきかせる、こんな世の中だからこそ、
仰木監督のような方には生きていてもらいたかった。


残念でならない。

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