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児童虐待と、聞き上手な父親と、ご苦労様のススメと

2006.12.20


先日、児童虐待のテレビ番組をやっていた。虐待のある家庭に入り込んだカメラ。1歳と3歳の子供が、母親の虐待(「ネグレスト」と呼ばれる育児放棄も含めて)」に耐えている姿を見て、ふるえた、涙が出た。


悲しいのは、子供たちが母親を嫌ってるからじゃない。その反対に母親を求めているからだ。甘えたい、抱きしめてもらいたい、愛してもらいたいという気持ちが、ひしひしと伝わってくる。


子供たちにとって唯一のよりどころである母親に無視され、罵声を浴びせられ、たたかれる。これが、生まれてまだ500日や1000日の子供たちが受けなければいけない仕打ちだとは到底思えない。


それでもなお3歳になる子供は、母親を気づかうような態度や言動を見せる。この母親を思う心が、いつの日か憎しみに変わるときが来るのかと思うと、やるせない気持ちになった。


ドキュメンタリー番組というのは、ひとつのフィクションだと思っているので、その映像自体をどうこういうつもりはないのだが、少なくとも、これと似た境遇の親子が少なくないことだけは容易に想像がついた。


子供を虐待をする親が憎い。


ただ、母親だけを一概には責められないと思った。


私は、自分が自宅で仕事をしているため、比較的子育ての日常を経験しているほうだと思う。その立場で言わせてもらうと——子育ては大変である。


もちろん、そんな大変さを軽く凌駕するだけの喜びがあるのだけれど、日常の多くは、大変である。


母親は強いと思う。持ち前の度量と、愛と、生き様で、子育てと向きあい、多難を乗り越えている人もたくさんいるし、子育てを大変とさえ感じていない人もいる。


だけど、世の中の母親すべてが、強いわけではない。


そんな母親を助けてあげられるのはだれなのか?


それは、父親にほかならないだろう。


父親が子育てに参加することに異議を唱える人が、日本にはまだに多い。


そもそも“参加”という言葉自体がおかしいのだが、それはさておき、多い。


父親たちの言い分も分かる。昔の日本はそうだったじゃないかと。家長。父親の威厳、らしさ、沽券。俺は外で七人、いや百人の敵と戦う。お前は家を守ってくれ——。


けど、それは大時代的な考え方である。


社会の形態が変わりすぎてしまったのだ。大家族という家族形態が減り、親族一同で見守るコミュニティや、安心して子供同士を行き来させられる“ご近所さま”というコミュニティがなくなりつつある。より大きな単位で子供を育てる環境を、日本人はことどとく手放してきたのである(その是非はここでは割愛するが)。


母親が孤立している。


そうした状況において、母親だけに子育てを任せる(押し付ける)のは、やはり間違いだろう。


反論する父親がいるならば、1週間だけでもいいから、自分ひとりで子供を育ててみればいい。少なくとも、子育てが、いかに一筋縄でいかないものかを理解できるはずである。


子供を虐待する母親が、自力で立ち直ることは、ほとんど不可能なような気がする。よほど大きな何かに啓蒙されないかぎりは。


子供が母親を求めているように、母親は父親を求めている。


違うだろうか?


とはいえ、この核家族化した社会のなかで、会社勤めの父親が、積極的に子育てにかかわることは大変なことである。


ではどうすればいいのか?


一日中育児にたずさわる母親の話を聞き、理解し、ストレスを受け止めてあげてほしい。


少しの時間でいいから。


それが、虐待を防ぐせめてもの方策のように思う。


私の友人で「ボクは忙しくて家に居られないけど、子育てに不安はない。ボクにできることは、奥さんを愛すること。そうすれば、子育てはきっとうまくいくはずだから」。


そう平然と言ってのけたヤツがいる。


彼は正しい。子育てを任せるのであれば、任せる相手である母親を愛することが、ひいては父親が子供を愛すことにつながる。その法則は少なからず存在する。父親に愛される母親は、きっと、満ち足りた、平穏な気持ちで子育てと向かい合うことができるだろう。


ここが大事なのだが、


愛するということは、話を聞き、理解し、ストレスを受け止めることを含んでいる。


愛するとは、受け止めること。


父親が「母親が子供を育てるのはあたりまえだろ!」というのは、間違っている。


いや、言葉としては間違ってないのかもしれないが、優しさがない。そこが間違っている。


ただし、母親にもひとつ条件がある。


家に食糧を持ち帰るために、狩りに出かける狩猟者たる父親の沽券を認め、守ってあげてほしい。


言っておくが、男は単純だ。


日本で父親の威厳が損なわれたのは、一説には、給料が振り込みになってからだと言う人がいる。


昔の日本には、父親が月に一度給料袋を持って帰ってくると、母親や子供たちが「ご苦労様でした」と言い、ビールの一杯でもお酌してあげるような風景が見られた。


そんなことを書くと、まったく封建的な考え方だ! とご立腹の方もいるかもしれないが、要するに気持ちの問題である。


給料が自動的に銀行に振り込まれることにより、父親は、仕事の報酬を実感として味わう機会を失っただけでなく、その成果を家族に認めてもらう機会さえ失ってしまったのである。


もし、月に一度、さもそれが当然のように、預金残高を記帳している母親がいるならば、声を大にして言いたい。


「ご苦労様でした」と言ってあげてほしい。


亭主関白を礼賛している訳ではない。


言いたいのは、男は単純だ、ということだ。


いい意味で書くが——それを利用してほしい。


たとえそこに打算があろうと構わない。


言霊。


言葉は自分自身を導いてくれるから。言葉にすることが尊いのだ。


沽券を認めてもらった父親は、きっとアナタ(母親)の気持ちを、悩みを、愚痴を、受け止めてくれるだろう。


人間関係は常に双方向通信である。


因果応報。


夫婦で話し合い、認め合い、理解し合う。あたり前だな事だけど、そこに虐待を防ぐヒントが隠されている気がする。

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