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モラルなき「表現の自由」への不安

2002.9.28


先日、人気作家・柳美里の作品「石に泳ぐ魚」をめぐる裁判の判決で、モデルとなった女性(以後A氏)のプライバシーを侵害したとして、最高裁は原告の損害賠償請求を認め、小説の出版禁止を命じた。


柳氏は「今回の判決は作家個人の問題を超え、日本における文学作品の可能性はもとより、表現の自由を著しく制限するものと言わざるを得ず、慙愧にたえません」とコメント。憲法21条の「表現の自由」を盾に反論を述べている。


一方の原告は「かつては親しい友人と思っていた柳氏は、障害を持つ私のプライバシーや人権をまったく考慮せぬまま小説を執筆・公表した。私が訴訟を起こしたのは、人の尊厳を踏みにじるような行為に対して戦いたかったからだ」との弁。


「芸術」と「プライバシー」の対立であるから、問題が高度であることには違いないが、事件の推移を見守ってきた限り、どうにも事前に防ぎようのあった争いに思えてならない。


柳氏は、作品のテーマや内容について、モデルのA氏に少しでも理解を求めたことがあるのだろうか。あるいは、明らかにA氏と断定できる手法以外で作品を構成することはできなかったのだろうか。


もちろん、「表現の自由」は憲法21条で保障されている。モデルをどう設定するかは作家の自由であるし、そもそも芸術にタブーはないという考え方もあろう。


しかし、「自由」が「モラル」を前提としているのと同様に、「芸術」が完全なる治外法権下にある訳ではない。たとえば「これは芸術です」という理由で、人を公開処刑するような行為が許されるハズもない。

では「石に泳ぐ魚」を公表するにあたり、もしもA氏が公開処刑にさらされる以上の精神的苦痛を味わされていたとしたらどうだろうか。今回の判決には、その答えの一つが導き出されている。


判決は人権への配慮に疎い作家や芸術家への警鐘である。作家の責務とは「物を作るという行為と同時に、それを発表する際に生じる社会的影響を予見することまでを含む」と私は考える。柳氏ほどの作家が、身近な友人をモデルとしながら、当人の精神的苦痛に対する配慮を怠った点について、その落ち度を免れることはできないであろう。世間の法やモラルと格闘しながらも、それらを超越した視点なり手法で表現していくことは、現代作家に課せられた当然の使命ではなかろうか。


「表現の自由」を死守すべく急先鋒にならざるを得なかった柳氏の立場も理解できるが、せめて本人の口から「今後、別の手法で同様のテーマに挑戦してみせる」との決意が聞きたかった。誰かを傷つけなければ成り立たない文学や芸術が本当に存在するのかを、表現者たちは真剣に考える必要があるだろう。


判決後、新潮社が「判決はこういうことになったが、それでも出版の道を探りたい」と一部修正を含めた検討作業に入る意向を示した。一部修正くらいで作品のテーマが揺るがないのであれば、なぜ最初からやらなかったのか。作品をプロデュースする立場である出版社の怠惰も大きな問題だと思う。

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