一流シェフの自殺理由
2003.4.11
1か月以上前になるだろうか、新聞の3面記事に次のような見出しを見つけた。「本場三ツ星シェフ、自殺」。
自殺を図ったのはフランス料理界を代表するシェフとして知られるベルナール・ロワゾー氏。記事は自殺の原因について「同氏が経営する三ツ星レストラン『ラ・コートドール』が、フランスガイド【ゴー・ミヨー】で評価を落とされたことが原因では?」と伝えている。
なんでも20点評価の【ゴー・ミヨー】で、それまで最高レベルの19点を維持していたロワゾー氏だが、03年版同ガイドでは17点に格下げになったらしい。
もしこの憶測が事実であるとするならば“ロワゾー氏にとって料理とは一体何だったのだろうか?”と訝らずにはいられない。どこぞのダレかが決めた評価ではないか。本当に評価の下落を苦にした自殺であるならば、ロワゾー氏は自身の料理人生を全否定したようなものである。
「美味しい料理を食べさせたい」——そんな気持ちの延長線に“一流”があるのでなければ、一流の意味は半減以下と言ってもいいだろう。ダレかのためでなくてもいい。「料理が好きだ」——それとて立派な理由である。偉大なるエゴで大いに結構ではないか。
もちろん、人間などそう高尚にはできてないから、ときには他人の評価が気になることもあるだろう。
だけど“一流”というのは、そういった“凡庸”を超えていく人のことを指すのではないだろうか。生き方が、精神が、プロセスが、一流なんだと思う。点数や評価に縛られる人は“有名”にはなれても“一流”にはなれないだろう。
このことはロワゾー氏に限った問題ではない。何ゆえ物を作るのか? 何ゆえサービスを提供するのか? 何ゆえ文章を書くのか? その理由づけはやはり大事だと思うし、逆を言えば、その理由づけに確固たる信念があれば、周囲の雑音などとるに足らないハズである。
「ダレかの価値」に従うための人生は、その価値の下落とともに自分の人生を落としかねないゆえに、極めて危険である。
そんな主体性のない仕事をするくらいであれば、たとえば「金のため」「生活のため」と割り切って働くほうがまだ賢明であり、健全というものだ。
ロワゾー氏の死後、彼と並ぶシェフのポール・ボギューズ氏は「【ゴー・ミヨー】が殺したようなものだ」と非難したという。そういう発言がロワゾー氏の「死」への弔いになると思ったら大間違いである。
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