腹切りなき時代に訪れた自殺大国の憂うつ
2004.9.9
旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国で一番自殺者が多いのが日本というニュース。自殺者総数ではなく、人口10万人に対する比率。世界全体では10位の24.1人(男35.2人、女13.4人)。99年の調査では16.8人の23位だったので、大きな変化と見ていいだろう。45〜64歳の自殺者が増えているという。
WHO精神保健局は、日本の自殺急増について「十分な分析はできていないが、不況による仕事でのストレスの増加が大きな理由のようだ。また、日本の場合“腹切り”の伝統があるように、自殺に寛容な文化的土壌もあるのではないか」と話しているという。
前半の分析はいいとして、後半のそれは何だ? そんな寛容な文化的土壌が、今の日本にあったか? かつての日本にあった伝統は、罪に対する処罰(腹を切らされる)や責任の取り方(誇りをもって腹を切る)という、ある意味、武士道の精神にのっとったものであり、現代の自殺理由と同列に語れるものではないハズだ。
たとえば、三島由紀夫のような(近年では代議士の新井将敬氏のような)決意の死というのはごく稀のケースであって、多くの場合は「生きていても仕方がない」「生きていたくない」という悲観から来るものだろう。自殺が寛容されていないことも、多くの遺族が身内の自殺を他人に知られたがらないことに表れている。自殺に寛容な文化的土壌があるならば、「自殺=密葬」というのもおかしい話ではないか。むしろ、日本では自殺者、およびその遺族への視線は冷ややかなほうと見るべきだろう。
その一方では三島的な武士道精神に近い死に対しては、シンパシーを感じやすいのもまた日本的な傾向といえる。考えてみれば、一年に一度は「忠臣蔵」のドラマを楽しむのが日本という国だ。良くも悪くも浪花節好き。日本に何らかの文化的土壌があるとするならば、それは武士道精神と質の異なる自殺に対する軽蔑と冷笑ではないだろうか。異分子を排除しようとする村八分の土壌に近いものかも知れない。
世界全体の自殺者数は推計で年間約100万人に達し、「殺人や戦争の死者の総計を上回る」という。100万人もの人がみずからの手で命に幕を下ろしていることも驚きながら、その比較対照に「殺人や戦争の死者」が挙げられてしまうことにもがく然とする。
死人に口なし——多くの場合、自殺者には自殺するに値する理由があるのだろう。だが、生きたくても生きることのできない命に対し、人類はどうこの現状を説明すればいいのだろうか。そしてまた、これほど多くの人が「生きていたくない」と思う主要先進国に住む私たちは、何をすればいいのだろうか。
少なくとも「自殺に寛容な文化的土壌もある」などというデタラメな逃げ口上を真に受けていてはいけないだろう。
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