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W杯と国家の微妙な関係

2002.6.27


サッカーW杯の日本代表に対する国民の加熱ぶりは正直驚いた。


マスメディアもこの異常事態に敏感に反応し、会場周辺や繁華街で盛り上がるサポーターの姿が、頻繁にブラウン管に登場するようになった。


テレビのコメンテーターは「日本国民の誰もに、一致団結したいという願望があった」などと解説を加える。


日本国民が君が代を大合唱し、日の丸の国旗を振る。また、自分以外の何者かを応援をする。たしかに、最近の日本にはこうした光景が少なすぎたのかもしれない。それはある意味、半世紀以上も前に日本を支配していた「全体主義」への強い反発の結果でもあったと思う。


戦争を知らない私でさえ、小さいころは「日の丸=全体主義=なんとなくワルそう」という連想をしていた。そして、日の丸について語らなくなった国民は、 いつしか日本という国を語らなくなったのだ。


しかし、そうした過剰な反発は一方で、妙な「個人主義」や「人権主義」を助長した。「個人」や「人権」を盾に、自由とわがままを履き違える輩が急増し、ピントのズレた「人権擁護」の風潮が蔓延。他人を支える、守る、サポートする、といったことは一様にカッコ悪いものとして追いやられ、無視され続けてきたのである。


そうした経緯を鑑みると、今回のW杯は日本という国を考える(もしくは意識する)格好の機会であったといえる。


しかし一方で、今回のW杯にもいくつか後味の悪い出来事があった。それは「悪しきナショナリズム」ともいうべき主張である。イタリア・セリエA「ペルージャ」のガウチ会長の「安貞桓のペルージャ解雇」発言にも驚いたが、韓国が対アメリカ戦で見せた、冬季オリンピックの報復とも言うべきパフォーマンス(スケートの真似をしたヤツ)にもゲンナリさせられた。


幸い、どちらにの行為にも批判的な意見が出ているのが救いだが、もしも国内でそらに同調する意見があるとしたら恐ろしいことである。


ナショナリズムは大いにけっこうだが、それが世界を見据えたものでなければ「全体主義」と何ら差異ないという認識を、一人ひとりが強く持つべきであろう。


「サッカーは戦争である」という言い親しまれてきた言葉は、あくまでもピッチ上のものだけであってほしいと願うばかりだ。

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