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No.24「イル・ポスティーノ」

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 銀幕をさまよう名言集!  No.24  2008.5.31発行 
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1994年/イタリア 「イル・ポスティーノ」より
ナポリの沖合に浮かぶ小さな島に、
世界的詩人のパブロ・ネルーダが長期滞在する事になった。
郵便局に勤めるマリオは、
世界中から送られてくるパブロへの郵便を届ける配達係だったが、
パブロから詩のメタファー(隠喩)について教わり、
次第に詩の素晴らしさに目覚めていく……。
マリオはパブロに、
「昨日、先生の詩を読んだんです」と伝える。
その詩のなかに、
<理髪店のにおいに私は叫ぶ>という一節があった。
マリオはパブロに素朴な疑問をぶつけた。
     「でもなぜ<理髪店のにおいに私は叫ぶ>んです?」
パブロは答える。
     「別の言葉で説明したら……詩ではなくなる。
      詩を理解したいなら——
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      説明を聞くより、その情感を体験することだ」                  
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私たちは、何かと答えを得たがる。
この詩の意味は?
この映画(シーン)の意味は?
この絵の意味は?
このセリフの意味は?
それは、勉強熱心でいいことかもしれない。
だが、手軽に答えを求めすぎて、
自分で考えることを放棄してはいないだろうか?
たとえば、パブロの詩の一節、
<理髪店のにおいに私は叫ぶ>を読んだときに、
大事なことはなんだろう。
それは、まさしくパブロの言う通り、
その情感を自分自身で体験することではないだろうか。
もちろん、前後の文脈というのもあるから、
あてずっぽうでいいというわけではないが、
少なくとも、想像力を働かせないことには何も見えてこない。
「理髪店のにおいに忘れかけていた過去を思い出し、イライラした」
のかもしれないし、
「理髪店のにおいに考え事を邪魔された」
のかもしれない。
あるいは、
「わけもなく理髪店のにおいに叫びたくなった」
のかもしれない。
※ちなみに、劇中では、この一節のあとに、
 <人でいるのに疲れた>
 と続く。
大事なことは、作者から説明を聞くことではなく、
自分の感覚を研ぎ澄まし、その世界を“感じる”ことだ。
ましてや、詩の意味を作者に質問することは、
パブロの言う通り、詩を詩ではなくしてしまうことにほかならい。
世の中には、評論やインタビューやパンフレットなど、
作品を解説するモノがあふれている。
(このメルマガもそのひとつです・笑)
それはそれで、作品への理解を深める道具のひとつではある。
ただし、初見においては、そうした道具に頼らずに、
自分の感性を大事にすべきではないだろうか。
     「説明を聞くより、その情感を体験することだ」
ときとしてそれは、世間にあふれる評論や解説よりも、
あるいは、作者自身の解説よりも、
真実を射ている、という言い方もできるだろう。
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●編集後記             
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「イル・ポスティーノ」という作品には、
美しい景色と素朴な人たちと美しい音楽、
そして情感に満ちた言葉の数々があふれています。
映画全体がひとつの詩である、と言ってもいいでしょう。
ゆえに、理解するのではなく、感じたい物語です。
マリオ役のマッシモ・トロイージは
撮影終了後に41才の若さで亡くなったそうです。
心臓病の手術よりも撮影を優先したという役者魂は、
この作品のなかで光彩を放っています。
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■銀幕をさまよう名言集! No. 24「イル・ポスティーノ」
マガジンID:0000255028
発行者  :山口拓朗
●公式サイト「フリーライター・山口拓朗の音吐朗々NOTE」
http://yamaguchi-takuro.com/
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