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No.57「カーズ」

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 銀幕をさまよう名言集!  No.57  2010.2.7発行 
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2006年/アメリカ 「カーズ」より
ピクサーが2006年に製作したアニメ映画。
登場人物(車?)が全員クルマという
たいへんユニークな作品だ。
カーレースの最高峰「ピストン・カップ」で活躍する
若きレーシングカー、マックィーン。
新人ながら天才的なドライビングテクニックと、
うぬぼれ全開なパフォーマンスで人気を集める彼は、
優勝まであと一歩のところまで登りつめていた。
ところが、優勝を決める最終レースの開催地へ向かう途中で
マネージャーとはぐれてしまったマックィーンは、
ルート66沿いのさびれた田舎町
「ラジエーター・スプリングス」へ迷いこんでしまう。
物語は、これまで「自分のため」だけに生きてきたマックィーンが、
ラジエーター・スプリングスの人々との交流を通じて、
仲間の大切さと、
「誰かのため」に生きることの尊さを知り、
精神的に成長していく姿を描く。
今回紹介するセリフは、
ラジエーター・スプリングスでの
生活に慣れてきたマックィーンが、
気になる女性ポルシェのサリーに連れられて、
ドライブに出かけるくだりだ。
マックィーンはルート66を走りながら、
これまで見過ごしてきた、
クルマを走らせる本当の喜びを知る。
ふたりが到着したのは、
荒野を一望できる高台。
サリーはそこから見る風景が好きだという。
ただし、その風景には「ある現実」も混ざっていた。
ラジエーター・スプリングスがあるルート66とは別に、
地形を切り裂くようにして、
まっすぐに走るハイウェイが見える……。
サリーは静かに語り始めた──
    「昔はああじゃなかったみたい。
     40年前までのクルマの旅って、今と全然違ってた。
     道はあんな風に地形を切り裂くんじゃなくて、
     地形に沿うように作られていたのよ。
     上ったり、下ったり、曲がったり……」
サリーはさらに続ける──
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    「クルマは楽しみに行くために走ってたんじゃなくて、
     楽しみながら走っていたの」
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この映画の魅力はクルマという設定にこだわった
細やかなディテールの描写にある。
ラジエーター・スプリングスで交わされる会話は、
ほとんどが生活(=クルマ)に関することばかり。
タイヤ、ボディペイント、ガソリン交換、オイル交換、ガレージ……。
クルマの姿形を借りるだけではなく、
骨の髄までクルマにこだわった
ドラマに仕立てられているのだ。
たとえば、人間でいう「ビールで一杯やるか」が、
この物語では「オイルで一杯やるか」となる。
クルマ好きならきっと気に入ると思うが、
クルマ好きでなくとも、
この映画がクルマに対して最大級の敬意を払って、
見事な「擬人化」を実現していることに、
驚きとほほえましさを感じるだろう。
さて、そんなクルマたちのセリフのなかでも、
サリーが高台で語った言葉は、
特別胸に響くものだ。
    「道はあんな風に地形を切り裂くんじゃなくて、
     地形に沿うように作られていたのよ。
     上ったり、下ったり、曲がったり……」
ルート66という
「走りを楽しむのに最高な道」があるにもかかわらず、
まっすぐなハイウェイが作られたのは、
わずかに時間を10分短縮させるため、だったそうだ。
そこにある動機は「利便性」だけであり、
「クルマの運転を楽しむ」というドライバーの思いは、
まったく勘定に入れられていない。
    「クルマは楽しみに行くために走ってたんじゃなくて、
     楽しみながら走っていたの」
何が、クルマを「楽しむもの」から
「道具」に変えてしまったのだろうか。
何が、道を「地形に沿った自然なもの」から
「移動時間を短縮させるためのもの」に
変えてしまったのだろうか。
答えはひとつではないだろうし、
誰が悪いというわけでもないのだろう。
でも、サリーがそこに
一抹の寂しさを感じる気持ちは分からなくない。
人間(映画ではクルマ)がモノを作る理由の多くは、
快適、効率、利便、ラク、簡単……などを
追求するためである。
それは多くの人(クルマ)の生活に、
小さからぬ恩恵を与えてきた(与え続けている)。
しかし一方で、
快適、効率、利便、ラク、簡単……などを
追求してきた結果、
人間(クルマ)をつかさどる
精神的、あるいは肉体的な潤いが、
吸い取られてしまった側面があることも、
否定できない事実だろう。
ルート66沿いにあるラジエーター・スプリングスという町は、
(フリーウェイができてしまったため)、
今ではすっかりさびれてしまったが、
そこに住む人(クルマ)たちは、
血が通っていて、とても温かい。
彼らは社会全体から見ると、
単なる「時代遅れ」なのだろう。
でも、それと彼らの人生が豊かか豊かでないかは、
まったく別の話である。
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