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「夜のピクニック」

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2006.9.20
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9月30日から公開される恩田陸原作の「夜のピクニック」の試写。
「第2回本屋大賞」受賞作を長澤雅彦監督が映画化。
監督:長澤雅彦 企画プロデュース:牛山拓二 原作:恩田陸(「夜のピクニック」新潮社刊) 脚本:長澤雅彦、三澤慶子 出演:多部未華子、石田卓也、郭智博、西原亜希、貫地谷しほり、松田まどか、柄本佑、加藤ローサ、池松壮亮ほか 上映時間:1時間57分 配給:2006日/ムービーアイ、松竹
24時間一昼夜をかけて80kmを1000人一緒に歩き通すある高校の伝統行事「歩行祭」(恩田氏の母校で実際に行われている行事)。そのスタートから ゴールまでを記録した青春映画。


今年で最後の歩行祭を迎える貴子(多部末華子)は、密かに自分に賭けをしていた。それは3年間一度も話したことのない同じクラスの西脇(石田卓也)に話しかけるというもの。実は貴子と西脇には“特別な秘密”があったのだ……。さあ、特別な1日の幕が切って落とされた!
貴子と西脇が抱える“特別な秘密”。それが何かを探ることが、観客的にはひとつの楽しみとなるはずなのだが、冒頭のあるシーンを見ただけで、ピンとくる人はピンときてしまう。
が、ふたりにまつわるエピソード以外にも、本作には、高校生らしい、ほほえましい恋愛&友情話がちりばめられているため、“特別な秘密”頼りにならずにすんでいるのは、これ幸い。
いずれにせよ、高校生という地点から大きく時を経た人であればあるほど、多感な10代の少年少女が放つセキララな吐息、そして、彼らの他意のない思考や行動に、過ぎ去りし青春の記憶と感情が呼び起こされるであろう。
好きもあの子も、嫌いなアイツも、どいつもこいつもみんな一緒に歩き続けるという、その時代にしか経験できない貴重な体験。その「まぶしさ」に、得も言われぬ目まいを感じつつ、ふと気づくと、強烈なノスタルジーに吸い込まれている自分がいる。
中だるみも激しいし、笑いもチープだし、キャスティングもいまひとつパっとしないし、ぶっちゃけ深みが感じられない……と、マイナス点は少なくない。だが、そんな苦言などどうでもよく思える瞬間が、たしかに、あるのだ。
まさしく青春映画の魔力。
24時間×80kmをなにゆえ歩かなくては行けないのか? 実際に参加を余儀なくされた生徒たちは、ほぼ100%の確率でその思いを心のうちに秘めている。
ただ、その答えのない不条理さにこそ、本作の背骨は貫かれている。それは24時間テレビ恒例の100kmマラソンのような、制作者サイドの「狙い」や走者の「意思」が明確に存在する状況とは正反対に、あくまでも不条理かつ答えの用意されていない試練である。
私たちはなぜ歩かなければいけないの?
その根底に横たわる疑問を抱え、ときに(終始?)愚痴をこぼしながらも、高校生たちは、それなりに現状を楽しみ、自分をもり立て、仲間をもり立て、足を進める。その道程には、恋いあり、仲たがいあり、照れあり、挫折あり、諦めあり、希望あり……。
なにかに似ている——
と思う人も少なくないだろう。
そう、人生に。
明確な意図を与えられぬまま、「さあ、歩きなさい」と、人生というスタートラインから押し出された人間の姿が、この不条理な「歩行祭」と静かにシンクロする。
この「歩行祭」は人生の縮図のようだ。ゆえに、その行為をどうとらえるかは、観客ひとりひとりの人生観によっても異なるだろう。
が、もしもゴールした生徒たちに拍手を送りたい自分がいたならば、それは、その人自身が、人生の一歩一歩に、なんらかの意味を見いだしている証拠といえるかもしれない。
とにかく、歩く。
それが本作のテーマであり、それ以上でも以下もない。
それが青春。
それが人生。
「歩行祭」が冗長だからといって、映画的に冗長になる必要はなかったとは思うが……。
ところで、『ラスト・サムライ』で知名度を上げた池松壮亮が本作でも好演。“若き演技派”の天才ぶりにご注目のほど。

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