「パッチギ!LOVE&PEACE」
2007.6.3
公開中の映画「
井筒和幸監督作品。2004年に公開された「パッチギ!」の第2弾。
監督・脚本・製作:井筒和幸 製作総指揮・製作:李鳳宇 脚本:羽原大介 音楽:加藤和彦 出演:井坂俊哉 西島秀俊 中村ゆり 藤井隆 風間杜夫 キムラ緑子 手塚理美 キム・ウンス 米倉斉加年 村田雄浩ほか 上映時間:128分 配給:2007日/シネカノン
1974年。前作で京都にいた在日朝鮮人のアンソン(井坂俊哉)とキョンジャ(中村ゆり)の兄妹は、は、病気にかかった幼い息子チャンス(今井悠貴)の治療先を求めて、東京に引っ越してきた。ある日、アンソンは、宿敵・近藤と再会して争いごとに巻き込まれる。彼を助けたことが原因で国鉄をクビになった佐藤(藤井隆)と知り合いったアンソンは、彼と共に無謀な計画を立てる。一方、 キョンジャは、チャンスの治療費を稼ぐために芸能界入りし、やがて大作戦争映画のヒロイン役に抜擢されるが……。
社会的なメッセージを多分に含んだ前作「パッチギ!」だが、映画的な成功を収めた大きな理由は、骨太な社会派作品でありながらも、全体を娯楽というベールで包み込んだからだろう。もちろん、作品のテーマに対して敏感な反応(反感?)を示す人もいたとは思うが、製作サイドとしては、そんな反応のひとつやふたつは想定の範囲内。井筒流パッチギ(頭付き)でけ散らしている。
本作も、前作同様に、差別にさらされながらも日々を生き抜く在日朝鮮人の姿を描いている。テーマは一貫。在日朝鮮人に対する日本社会の差別や偏見の問題を扱っている。
舞台は1970年代の日本。なぜ今ではなく1970年代なのかは、作品を見れば自明。日本が朝鮮を併合していた当時のリアルな記憶をもつ(日本名を名乗らされ、朝鮮語やハングルを禁じられ、日本の兵士として戦わされ…etc.)在日朝鮮人にとって、そうした搾取に起因する強固な反日感情と、日本国内で日常的にさらされていた差別や偏見が、重くのしかかっていた年代であったからではないだろうか。——「パッチギ」のような映画が容易に作られ難かった時代。
差別や偏見というのは、実際に加害者なり被害者なりになってみなければ、本質を知ることはなかなか難しいものである。いや、差別や偏見は、個人の体験を通じてのみ、真実を語りうるともいえる。そういう意味では、在日朝鮮人への差別や偏見という問題を、ひとつの家族にフォーカスして描こうとする試みは、方向性として間違いではないだろう。
個人的な体験を少し話そう。——私の父は1980年代前半に約3年半、韓国のソウルに単身赴任していた。当時の父は、まだ小さかった私(小学校3~5年生)に多くを語らなかったが、「日本人は朝鮮人に嫌われているんだよ」という話を何度か聞かされた記憶がある。戦争がその原因だということは漠然と理解できたが、「日本人が多くの朝鮮人に悪いことをした」という話を正しく理解するには、私はまだあまり歴史というものを知らなすぎた。
だが、その後にハっとさせられる経験をする。夏休みを利用して父が赴任しているソウルに遊びに行ったときのことだ。父の世話をしているアズンマ(おばさん)をはじめ、ホテルの従業員、タクシーの運転手、レストランの経営者……ある年齢以上の人たちは、普通に日本語が話せたのである——。
基本的な人権を搾取され続けた朝鮮人の多くが、日本に対して恨みをもつのは当然の流れだと思うが、戦後、日本人が、そんな朝鮮人を精神的に迫害してきた側面は否めないようである(在日朝鮮人の被害者意識を差し引いたとしても)。
そんな日本社会をストレートに糾弾するというよりは、在日朝鮮人側の実生活を描くことにより、戦後の日本社会に一部存在し続けてきた民族差別を浮き彫りにし、さらに、その根っこにある戦争や国による支配の歴史を風化させまいと声を上げているのが、井筒監督の「パッチギ!」である。
とくに本作「LOVE&PEACE」では、前作では描かれていなかった戦時中の朝鮮人(一世)の苦悩を、要所要所で挟み込むことにより、1970年代当時の在日朝鮮人が感じていた葛藤をリアルにあぶり出している。
加えてそこに、友情、芸能界、恋愛、結婚、病気……とさまざまなファクターを交錯させた今回の物語は、全編を通じてやや散漫な印象を受けなくもないが、それは、映画という限られた時間のなかで、できるだけ多角的に事実をとらえようとする作り手の誠意と見るべきだろう。もちろん、前作同様、この社会的な告発とメッセージを内包したアクの強い物語を、井筒流とでも言うべき娯楽のオブラートで包み込んでいる点は、サスガというよりほかない。
“在日朝鮮人”というテーマに敏感に反応して、この作品を政治思想で解釈したくなる気持ちはわからなくはないが(そもそも「韓国併合」という歴史的事実にもさまざまな議論がある)、「パッチギ!」の細部をじっくりと見渡せば、この作品が、単純に井筒監督の政治思想で塗り上げられたステレオタイプな作品ではないことがわかるだろう。
物語を、いかにも日本人好みしそうなお涙ちょうだい的ラストへ収束させておきながら、あっさりとその期待を裏切るあたりにも、戦争や差別という問題の根深さから目を背けまいとする井筒監督の信念を感じたし、前作のように、暴力描写に頼りすぎることもなかったように思う。
難しい問題を扱いながらも、決して頭でっかちになることなく、信念とパワーの丈を注ぎ込んだ入魂作。毅然とした問題提起を行いつつ、なおかつエンターテインメント映画としても一本立ちしている日本映画はそう多くはないだろう。
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