山口拓朗公式サイト

「リトル・チルドレン」

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2007.7.16
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7月28日より公開される映画「リトル・チルドレン」の試写。
原作はトム・ペロッタ、監督はトッド・フィールド。脚本はトッド・フィールド、トム・ペロッタ。出演はケイト・ウィンスレット 、パトリック・ウィルソン 、ジェニファー・コネリー 、ジャッキー・アール・ヘイリー 、ノア・エメリッヒ 、グレッグ・エデルマンほか。
郊外の住宅地に住む専業主婦のサラ(ケイト・ウィンスレット)は、ある日、公園で司法試験の合格を目指して“主夫”をしているブラッド(パトリック・ウィルソン)と出会う。ふたりはいつしか心惹かれあっていき……。そんな折、街には元性犯罪者のロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)が戻ってきたが、元警官のラリー(ノア・エメリッヒ)が、ロニーに対して執拗に嫌がらせをくり返す……。満たされない心を抱えた大人たちが、さまよい、そして、たどり着く場所とは……?


“リトル・チルドレン=大人になりきれない大人”
この言葉の響きに共感する人は少なくないだろう。なぜなら、このテーマについて思いをめぐらせたとき、世の大人たちのなかに——逆に——“大人になりきれた大人”がどれだけいるだろうか、と思うからだ。
きっと、自分の過去や現在や未来に確固たる自信を持って生きている大人などひと握りで、多くが、大人として、社会人として、親として、なんとか現実に折り合いをつけながらも、漠然とした不安や不満や空虚さを抱きながら生きている。それが現実ではないだろうか。
つまり、“リトル・チルドレン”とは、決して特別な大人を指したものではなく、真逆に、ほとんどすべての大人が抱えている、普遍的な人間の性質を指したものだといえる。それゆえ、この言葉の響きに興味をそそられるのだろう。
ところが、映画の出来はかんばしくなかった。
本作の登場人物たちは、自分が“リトル・チルドレン”であることにやたらと“明け透け”であり、同じく、“リトル・チルドレン”であることにやたらと“ステレオタイプ”なのだ。
どう“明け透け”で“ステレオタイプ”かというと——それぞれ結婚している男女ふたりの主人公が、初めて出会ったその数分後にキスをしてしまう、くらいである。なんともムチャクチャなシーンだ。
“大人”と“大人になりきれない大人”。その両者の境界線で——はた目には平穏を装い、ときには笑顔などを見せながらも——迷い、葛藤する姿を目にしたとき、客ははじめてそこで、シンパシーを感じたり、感情移入をしたり、カタルシスを得たりするのではないだろうか。
やみくもに“大人になりきれない大人”のハミ出した姿を描けばいいというものではない。
もしこれが、若き10代を主人公に据えた青春映画であったら、登場人物たちの明け透けかつステレオタイプな“リトル・チルドレン”を、あたたかい目で見つめることもできる。
がしかし、本作では、決して特別ではない大人たちの“リトル・チルドレン”を取り上げているにもかかわらず、彼らの気持ちの揺れの先鋭化された片側にばかりをフォーカスしている。それは正直、無粋であり、野暮であり、盲目である。というか、気持ちの揺れのもう片側を描かずして、“リトル・チルドレン”というテーマに、どうリアリティをもたせようというのだろう……。
そういう意味では、この作品は、一見人間観察に優れているかのような風体でつづられているが、その実は、思わせぶりなシーンを積み重ねた砂上の楼閣のようなものだ。
少なくとも“リトル・チルドレン”とは、「初めて会った相手と瞬時にキスをする」「家族(とくに子供)に対する愛情を簡単に手放す」「女性のパンツをかぶりながら自慰にふける」「自身の性犯罪歴を勘案せずに、のんきに町のプールに出かける」「それぞれ結婚している男女が毎日平然とプールで時間をすごす」「トラウマから逃げるために弱者に嫌がらせをする」……、そんなことだけで描けるものではない。大事なのは、それでもそう簡単に抜け出せない(あるいは抜け出したくないと密かに思っている)現実世界の描き方ではないだろうか。
この作品に感じたのは、おしなべて鈍感な登場人物たちへの違和感と、そんな鈍感な人物たちを勢ぞろいさせることで“リトル・チルドレン”を描いた気になっている作り手に対する不満くらいなものだ。
追い討ちをかけて言うなら、登場人物たちの思わせぶりな行動ばかりを強調しておきながら、ラスト間際に、各人が慌ただしくそれぞれの“リトル・チルドレン” に離縁状を突きつけるという、ご都合主義的な着地点にも閉口。これはハッピーエンドか? それとも悪い冗談か? ヘタなメロドラマのほうがまだ人間の心理を正確に描写をしているように思う。
本作「リトル・チルドレン」はテーマが先行しすぎて物語が頭でっかちになりすぎた好例。これでは主演女優賞級となるケイト・ウィンスレットの好演も、助演男優賞級となるジャッキー・アール・ヘイリーの怪演も形なしではないだろうか? と、辛口になったが、この映画、全映画賞で49部門ノミネートだとな……。
……わが身の感性こそを疑うべきか?

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