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「待つ女」

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2007.9.12
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9月6日に渋谷のシアター・イメージフォーラムで封切られた「待つ女」の試写。
監督&脚本&製作:ジャン=パスカル・アトゥ 出演:バレリー・ドンゼッリ、ブリュノ・トデスキーニ、シリル・トロレイ、パブロ・ドゥ、ラートーレ、ナディア・カシほか 上映時間:86分 配給:2006仏/オンリー・ハーツ
7年の刑で服役中の夫のもとに、週2回の面会に欠かさず出向く妻。ある日、面会を終えると刑務所の出口で見知らぬ男が声をかけられ……、いつしか、その男に体を許してしまうようになる。ところが、そのときふたりの情事を録音するテープレコーダーが回っていた。実はこの男は刑務所の看守で、夫に頼まれて妻を誘っていたのである……。この三角関係に出口はあるのだろうか?


地元のフランス映画祭で評価されたという芸術志向の官能作品。86分という短い尺に収められた世界は決して楽しいものではない。説明的な描写もセリフもことごとく排除され、最小限のシーンのつなぎあわせのなかで、奇妙な三角関係がくり広げられていく。
誰が善人で誰が悪人なのか? 何が正しくて何が過ちなのか? どこからが愛でどこまでが愛じゃないのか? そうしたことに、分かりやすい回答は何ひとつとして導き出されない。客はただただ役者の表情と行動に、自分の解釈を補足して、この映画を完成させなければならない。思わせぶり? その通り。芸術的? その通り。エンターテインメント性? 0%。哲学や芸術を愛するフランスゆえに評価される作品なのだろう。
登場人物の背景や本心を表す言葉がほとんど聞かれないこの映画は、描き込みという点では、ほぼその役割を放棄しているに等しい。ただ、この作品が扱っているテーマ——刑務所という“壁”が生み出す禁欲——への興味は尽きない。
たとえば、その壁が「死」であれば、時間をかけて克服していくという手段もあるだろうし、「病気」という壁であれば、体と体を寄せあうこともできるだろう。しかし「刑務所」という壁は、相思相愛の健康な男女が引き離されるというまれなケースを生み出す。もはやそこに一般論や倫理が入り込む余地はない。
妻と寝るよう(しかも情事を録音するよう)看守に仕向ける夫に、不倫相手が看守だと知りながらも逢瀬を重ねる妻。夫はテープを聞きながら自慰にふけり、妻はほかの男と寝ることで精神的なカタルシスを得る。この夫婦の愛情のカタチを、倒錯だ、弱さだ、変態だ、と断罪することは簡単だが、忘れていけないのは、その倒錯じみたシチュエーションを、彼ら自身が語らずとも是認していることだ。
“肉体関係のない愛は愛じゃない”と言ったのは、作家の渡辺淳一だっただろうか——。
もしそうだとすれば、刑務所という“壁”で隔てられた肉体の不在が、精神を瓦解させるほど大きな苦痛になる可能性は十分にあるし、あるいは、彼らにとって“壁”を乗り越えるための唯一の手段がこの奇妙な三角関係だったとすれば、そこに非難の矢を放つことは、そうたやすいことではない。
物語では、夫に頼まれて逢瀬を重ねていた看守が、しだいに妻に惹かれていくというもうひとつの愛を交錯させながら、愛とSEXという本能的なテーマを、一段深いエリアまで掘り下げている。彼らに審判を下すのは、彼らでも裁判官でもなく、見る側ひとりひとりの価値観でしかない。
夫がどういう罪で服役しているのか、看守がどのような見返りで妻を誘うことになったのか、そうしたディテールはつまびらかにされていない。親切さという点においては、不親切の極みをいくような映画であり、その不親切をもってして、つまらない、と感じる人も少なくはないだろう。
しかしながら、その不親切さこそが、客の想像力をかき立てる装置として機能していることはたしかであり、その狙いを素直にくみ取るしかないほど、説明描写や感情表現に抑制を利かせた演出は徹底している。「待つ女」は徹頭徹尾、不埒(ふらち)でストイックな作品である。

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