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映画批評「幸せのレシピ」

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2007.10.18 映画批評
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現在公開中の「幸せのレシピ」を観賞。
監督:スコット・ヒックス 出演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、アーロン・エッカート、アビゲイル・ブレスリンほか 上映時間:104分 配給:2007米/ワーナー
ニューヨークの人気レストランの料理長ケイトは、仕事に対する情熱が人一倍強い完全主義者。ある日、ふとしたことから9歳の姪ゾーイを引き取ることになり、ケイトの生活が一変する。一方、職場では生意気な新入りの料理人ニックと対立してしまう。ケイトは果たして、ゾーイやニックと関係を築き上げていくことができるだろうか……?


日本では2002年に公開されたドイツ映画「マーサの幸せレシピ」は、極めて質の高い映画であった。そんな作品がハリウッドでリメイクされ、現在日本で公開されている。
数十年を経た作品をリメイクする理由はよく理解できる。そこには、現代的な切り口で作品を再構築し、隔世による作品と観客の齟齬をなくそうという意図が見えるからだ。映画の歴史はまだ100年だが、作品によっては、これから先の長い歴史のなかで、三代目、四代目と作品がリメイクされ続けていくものもあるだろう。
一方、さほど古くない諸外国の作品をハリウッドがリメイクする理由は、いま述べた理由とは異なり、商業的な意図(自国アメリカでのヒット狙い)が大きいのだろう。舞台をアメリカに置き換え、有名な俳優を使うことで、アメリカ人の観賞意欲をかきたてる……。もちろん、オリジナルはそれなりに評価を得ている作品だろうから、少なくとも“大失敗する可能性”のリスクは背負わなくて済む。
日本の「shall we ダンス?」(1996年)や「リング」(1998年)、香港の「インファナル・アフェア」(2002年)など、さして古くない作品がハリウッドでリメイクされたときの製作理由も、おそらく似たようなものだったのではないだろうか。
たしかに、ハリウッドがリメイクすることで、多くのひとに作品が届けられるのは悪いことではないのかもしれない。ただし、そこには、哀しいかな——、オリジナル作品に対する軽侮が皆無というわけではない。事実、「インファナル・アフェア」のリメイク作品である「ディパーテッド」はオスカーに輝いたが、両作品を見たひとのなかには、オリジナルに軍配を上げるひとも少なくはないだろう。皮肉なものである。
つまり、それが、良くも悪くも“ハリウッド”という看板とブランド力の大きさであり、偉大さでもある。そしてまた、傲慢さでも。
ひとつ言えるのは、ハリウッドがリメイク巧者であるということだ。ヘタに色気を出さずに、オリジナルの背骨をソツなくトレースし、なおかつ、さり気なくテイストを自国色に染め上げる。そのバランス感覚とサジ加減は、素直に評価するべきだろう。
考えてみれば、舞台作品などでも、名作であれば、さまざまにカタチ(時代や設定など)を変えながら受け継がれていくことは珍しくはない。そうとらえるならば、ハリウッドからのリメイクのオファーが、オリジナルに対するひとつの評価であることもまた事実だろう(あまりに最近の作品をリメイクするのはいかがなものかとは思うが……)。
いずれにせよ、比較的新しい作品のリメイクというのは、(オリジナル作品の)作り手と(オリジナル作品を愛する)観客にとってはやや複雑なものであり、その功罪をひと言で言い表すことはできない。
——そうした私見はさておき、本作「幸せのレシピ」の感想に移ろう。
料理のことしか頭にない、頑固で神経質で完全主義者な女性料理人のケイト。定期的にセラピー治療に通うほど情緒と精神の安定を欠く彼女が、突如、一児(ゾーイ)の母親役を強いられる。
人気店のシェフと母親役というふた役をどうにか両立させようとケイトは頑張るが、そもそも自分のことで精一杯という身のうえ。彼女の頑張りは、しだいにムリを生むようになり、ゾーイとのあいだで、幾度となく衝突、仲たがい、すれ違いがくり返されるようになる。
突如としてふってわいた運命のアヤに翻弄されながら懸命に生き方を模索するケイトの姿は、とても人間くさく共感できるが、一方では、人間がそれぞれにもつ“他者を受け入れる許容量”の伸縮がさほど自由でないことも痛感させられる。
それでも、他者(ゾーイ)に愛をそそぐという、これまでの彼女には見られなかった行為を取り続けることで、ケイトは少しずつ人間として成長を遂げていく。
ある日、「学校に行きたくない」というゾーイに対して、ケイトは叱るでも失望するでもなく、みずからも「仕事に行きたくない」とこぼし、自分にとって唯一の生き甲斐であった仕事を放り出す。彼女の成長を象徴するシーンである。彼女は仕事を放り出すことで、自分を覆っていたカラを打ち破り、“他者との信頼関係”という大きな宝物を手にすることになる。
また、ある日、家を飛び出したゾーイが、亡き母の墓前で「ママのことを忘れそう……」とつぶやくシーンも、この映画のテーマを象徴するシーンである。
ゾーイのその言葉は、純粋に「ママへの愛情」を示すものであると同時に、「ママのことを忘れていく自分に対する腹立たしさ」、そして、「ママに代る愛すべき家族を見つけた喜び」までをも含んだ、尊く、適格で、何ものにも代え難いひと言として異彩を放っている。
もともと堅物であったケイトが単に丸くなっていくだけでなく、依然として料理に対する高いプライドだけは持ち続けるという着地点も、ご都合主義と一線を画すこの作品の魅力だろう。
ただし、オリジナルの「マーサの幸せレシピ」と比較した場合、内容が稀釈されている感は否めない。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズの演技が、「マーサの幸せレシピ」で、孤独や苛立ちや戸惑いを巧みに表現した主演のマルティナ・ゲデックの演技ほど憂いを含んでいないこともさることながら、ケイトやゾーイの心理描写に、おしなべてピントの甘さが感じられたのは残念だ。
ドイツとアメリカの空気感の違いも大きな問題のような気がするが、突如として母親を亡くした子供の気持ち、突如として母親になる女性の気持ち、そのふたりが日々更新していく互いに対する思い……。そうした他人にはわからない複雑な心理を丁寧な演技の積み重ねで表現したオリジナルと比較すると、本作「幸せのレシピ」では、アメリカナイズされた分かりやすい演出の方向性が裏目に出て、個々の内面の描き方がやや上っツラなものになってしまっている。“深みのあるヒューマンドラマ”が、“ちょっぴり泣けるラブロマンス”に変化してしまったように感じたのは、そのためだろう。
もちろん、オリジナルの「マーサの幸せレシピ」を見ていないひとであれば、十分に楽しみ、味わえる作品に仕上がってはいるものの、オリジナルを知るひとには、何かが簡略化されたような、物足りなさを感じるに違いない。それは、言葉にするのが難しいほと微妙な違いではあるが、こと人間の複雑な内面を真摯に描いた「マーサの幸せレシピ」のリメイクとしては、軽視できない違いであることだけは言っておきたい。


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