「はじらい」
2007.12.30
公開中の「
監督・脚本:ジャン=クロード・ブリソー 出演:フレデリック・ヴァン・デン・ドリエッシュ 、リーズ・ベリンク 、マロウシア・デュブルイル 、 マリー・アラン 、ソフィー・ボネット 、ジャンヌ・セラードほか 上映時間:100分 配給:2006フランス/アートポート
映画監督のフランソワは、“女性の究極の歓び”をテーマに新作の構想を練っていた。映画への出演を希望する女優たちと面談するが、カメラテストに話がおよぶと、彼女たちは一様にしり込みした。フランソワが求めたのは、カメラの前でのマスターベーションだった。やがて3人の女性がカメラテストにのぞむが……。
“女性の究極の歓び”をテーマに映画を撮ろうと試みた、映画監督フランソワの物語である。
カメラの前でマスターベーションをするという、すさまじいカメラテストに3人の女優が挑む。
彼女たちは、オーガニズムに達するものの、フランソワにはありきたりな歓びをヨシとしない頑なさがあった。彼が求めていたのは、“究極の歓び”であり、それを得るためには、彼女たちに“タブーを冒している”という羞恥心が必要だと考えるようになる。そして、彼女たちに、より過激なシチュエーションを用意する。
3名の女優が、監督の目の前で互いの恥部をまさぐる。見方によっては、ポルノ映画となんら変わりないが、陰影を生かした映像の美しさや、折につけ現われる堕天使の存在が、その短絡的なジャンル分けを許さない。堕天使は冷めた目でフランソワの行動を見ている。
エロティシズムあふれる官能シーンは、果たして演技なのだろうか。それとも演技ではなく……、と思わせるところにこの映画のおもしろさがある。映画製作という物語の設定も手伝って、見る者はまるでドキュメンタリーを見ているような気分になる。
一方、この映画は、こうした作品を撮る映画監督の因果とも言うべき不運な未来をも描いている。
実はこの映画は、ジャン=クロード・ブリソー監督の実体験にもとづいて作られたものだそうだ。氏はオーディション時に女優たちに性的嫌がらせをしたとして、4人の女優から訴えらた経験をもっている(しかも有罪判決)。つまり、この作品はその訴え&判決に対する氏の反論でもあるのだ。
物語の終盤、フランソワは、カメラテストを受けながらも映画に起用されなかった女優から恨まれたり、セクハラで訴えられたり、女優の関係者と思われる一団から暴行を受けたりする。また、ひそかにフランソワに恋愛感情を抱いていた映画出演者にも恨みを買われる……。官能の代償のなんとも大きいことよ——。
テーマに従順に作品を作ろうとしたフランソワと、フランソワにもてあそばれたと感じる女優たち。その確執を描くことは、ジャン=クロード・ブリソー監督にとってとても勇気のいることだったと思われる。劇中、フランソワが、女優に手を触れるシーンはひとつもない。ただ、手を触れなければ、性的嫌がらせにはならないのか? という批判が出るのは当然だろうし、あるいは、こうした作品を作ること自体が、自己を正当化するための欺瞞とも受け取られかねない。
もちろん、ジャン=クロード・ブリソー監督にしてみれば、そうした批判が出ることは覚悟していただろうし、肯定的な見方をすれば、この映画は、作品作りに没頭するあまり周囲が見えなくなる監督自身の自己批判を兼ねているようにも見える(堕天使の存在などはまさしくその視点だろう)。
いずれにせよ、本作「はじらい」は、官能映画という枠を超え、“SEXを演じること”と“SEXを演じさせること”の難しさを教えてくれる作品である。
「SEXの演技は別ものだ」というフランソワのセリフには、ジャン=クロード・ブリソー監督の格別な思いが込められている。
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