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「つぐない」

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2008.5.12
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公開中の「つぐない」を鑑賞。
監督:ジョー・ライト 原作:イアン・マキューアン 出演:キーラ・ナイトレイ ジェームズ・マカボイ シアーシャ・ローナン ロモーラ・ガライほか 上映時間:123分・PG-12 配給:2007英/東宝東和
作家志望の少女、13歳のブライオニーは、姉のセシーリアと使用人の息子で幼なじみのロビーの不穏な関係に気づき、ロビーのことを警戒するようになる。ある日、その事件は起きる。ブライオニーのウソの証言によって、セシーリアとロビーは離別。罪の重さにブライオニーが気づいたときには、第二次世界大戦が開戦していた……。


“贖罪”をテーマに、その苦悩と葛藤を描いた物語だ。今までにウソをついたことのない人間はどれだけいるだろうか? 多くの人にとってウソは、その大小を問わなければ、個人的な体験であり、“贖罪”というテーマは、現実味をもって向き合うことのできるテーマではないだろうか。
テーマ自体に新しさはない。文学でも映画でも、“贖罪”をテーマにしたものは枚挙にいとまがない。ただし、目新しくない=おもしろくない、ではない。重ねて採り上げられるべき普遍性を秘めているということなのだろう。
主人公のブライオニーが、その罪を犯したのは、弱冠13歳のときである。13歳が道徳的に子供か大人かの判断は難しいが、本人がその罪を罪としてまだリアルに実感できないないことは、彼女の表情や仕草からも明らかだ。いや、罪という意識はあれど、それを抑えるべき理性がまだ確立されていない、とでも言うべきか。
この作品は、のちに罪の意識に苛まれるブライオニーの人生と、彼女が犯した罪により人生を狂わされたふたりの男女の人生を、互い違いに、そして時折オーバーラップさせながら、壮大な人生絵巻として紡ぎ上げたものだ。バラバラに見える人生も、その元をたどれば、1点の過去を起点にしているところに、この物語の深みとダイナミズムがある。
ブライオニーの罪をどうとらえるかは、人それぞれだろう。
私見を述べるなら、大の大人が、みずからの人生の責任を当時13歳だった少女に押しつけるのは、いかがなものかと思う。気持ちは分からなくはないし、同情もするが、13歳の少女の心理にはやはり斟酌すべき情状があったと言わざるを得ない。むしろ、事件の真相を見抜けなかった大人たちや、あるいは軽はずみな行為をとった当事者ふたりにも、この事件における“否”は十分にあったように思うのだが、いかがだろうか?(この件について、本作はあえて傍観の姿勢を貫いている)
とはいえ、この映画は人間の背徳を、弱さを、罪深さを、静かにくすぐる。“贖罪”というテーマを、さり気なくも力強くトレースした筆致には、人間の不完全さに対するアイロニーすら感じられる。
本作のラストで明かされる事実によって、この映画は、観客に、なるほど、と思わさせる。巧みな収束といえるだろう。もしかすると本当はダレも13歳の罪を必要以上に責めてはいなかったのかもしれない。あるいはブライオニーは、13歳の罪を死ぬ間際までかたくなに背負い続ける必要はなかったのかもしれない。それはダレにも分からない。でも、ブライオニーはそう生きてきたし、そう生きるしかなかった。その事実が、物語を鈍色に染め上げる。
と同時に、自責の念にかられ、懺悔の気持ちを持ちながら、人生を生き抜いたブライオニー。彼女が持ち続けたその繊細で傷つきやすい感覚や、過去の過ちを真摯に省みる姿勢にこそ、この映画が描く希望があるようにも感じた。
年代別に3人の女優が主人公のブライオニーを演じているが、とくに13歳のブライオニーを演じたシアーシャ・ローナンの演技が際立っていた。大人の現実をまだ受け入れられない多感で複雑な感情。悪意さえ味方にする純情さ。自分さえ傷つけかねないカミソリのような心理が、この映画に大きな説得力を植えつけている。
タイプライターを打つ音から派生する独特なBGMが秀逸だ。戦闘シーンを描かずに戦争の悲惨さを伝える手腕も卓抜なら、クラシカルな色彩、浜辺のシーンでの長回しなど映像的な魅力にも触れられる。だが、ウソによって離別せざるを得なかった悲運と、戦争の悲運をいっしょくたにしたストーリーは、少しクドすぎたかもしれない。

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