映画批評「ミスト」
2008.5.21 映画批評
公開中の「
監督・製作・脚本:フランク・ダラボン 原作:スティーブン・キング 出演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ネイサン・ギャンブル、ローリー・ホールデンほか 上映時間:125分・R-15 配給:2007米/ブロードメディア・スタジオ
激しい嵐が町を襲った翌日、深い霧が発生した。デヴィッドは不安に駆られながら、息子のビリー、隣りに住む弁護士ノートンと一緒に、街へ買い出しに向かう。が、霧が深くなり、スーパーマーケットで足止めを食う。しかも、その霧のなかに、正体不明の何かが潜んでいることが分かる。スーパーマーケットに閉じこめられた町の住民たちは、生きる術を模索し始めるが……。
本作随一の見どころは、原因不明のパニックに陥ったときの人間の心理である。冷静な者、取り乱す者、悲観する者、勇敢な者、希望を持ち続ける者、絶望に沈む者……さまざまだ。そうしたなか、宗教の世界にどっぷり浸かるひとりの狂信的な女性が、誇らしげに“神の天罰”を主張し、居合わせた人たちを扇動するくだりは、スーパーマーケット内最大(最凶?)のシークエンスだ。
人間は、得体の知れぬモノに支配されたとき、疑心暗鬼になると同時に、それでも何かを信じよう(信じたい)と思うものなのか、時間の経過とともに、くだんの宗教女に賛同する者が増えていく。たかだか2泊3日程度の時間でも、“生け贄が必要”などということを本気で信じるようにまでなるのだから、人間とはまったく危ういものだ。
一致団結が求められる状況において、運命共同体であるハズの仲間同士が意見を対立させ、血さえ流し合う恐ろしさ、不気味さ。幾人かのリーダー的存在が出現し、ひとつ事件が起こるたびに、彼らを頂点とするパワーバラスが微妙に崩れて行くあたりは、団体の心理を的確に表していて、実におもしろい。
一方、この映画のタイトルでもある「ミスト(霧)」の正体については、期待外れ、と思う人も少なくないだろう。パニック時の人間や集団の心理を描くのに、本作に描かれているような“モノ”が本当に必要だったかといえば、答えはNOだろう。霧は霧のまま、未知は未知のまま、より想像力をかき立てさせる筋道はなかったのかと残念に思う。
また、問題となっている“衝撃のラスト”については、宣伝文句通りの衝撃だったと述べておこう。しかも、後味の質を問わなければ、鑑賞後も十分にあとを引かせる戦慄の幕切れだ。
ただし、衝撃や戦慄があるのと、そこに説得力があるのとは、まったくの別問題。少なからず私は、その説得力の弱さがネックとなり、結末をどうにもうまく咀嚼できないでいた。そうなった、という事実の見せ方だけではなく、なぜそうしなければならなかったのか、という伏線こそをもっと丁寧に積み上げるべきであったし、小さな「約束」ひとつで、あそこまでもって行く強引さには、あえて苦言を呈したい。
加えて、肝要な、よりスピードを要する展開のなかでのもたついた演出に、人間をじっくりと描き続けてきたフランク・ダラボン監督の手腕が裏目に出ていたように思う。とくに問題のラストにたどりつくまでのスロープは、余計なブレスを置かずに、スピードで一気に見せるべきではなかっただろうか。
とはいえ、ミステリー小説の大家とヒューマンドラマの名手のタッグが紡ぎ上げる安定感はサスガであり、ややB級テイストにもかかわらず、最後まで飽きさせないドライブ力は、期待外れと切り捨てるに忍びない。大きな期待さえ寄せなければ十分に楽しめる作品といえるだろう。
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