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「崖の上のポニョ」

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2008.8.13
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公開中の「崖の上のポニョ」を鑑賞。
監督・原作・脚本:宮崎駿 プロデューサ:鈴木敏夫 音楽:久石譲 主題歌:藤岡藤巻と大橋のぞみ 声優:山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ、奈良柚莉愛、土井洋輝、矢野顕子、吉行和子、奈良岡朋子ほか 配給:2008日/東宝 上映時間:101分
舞台は海辺に面した小さな町。崖の上に建つ家で両親と暮らす5歳の宗介。ある日彼は、海に棲む魚の子ポニョと出会う。一度は離れ離れになったふたりだったが、ある嵐の日に劇的な再会を遂げる……。


魚のポニョと少年宗介の信頼と愛情の物語だ。偶然出会ったポニョと宗介。はじめに彼らが過ごした時間は、わずか半日程度。がしかし、ふたりにとってその半日は、心と心をつなぐに十分な時間であった。
後日訪れるふたりの再会シーンは、彼らの信頼関係の強さを如実に表している。ふたりのあいだには、親友同士の信頼や肉親の愛情をも凌駕する——いわば、磁石のプラスとマイナスのような——強い結びつきがあるかのようだ。
その後ふたりに用意される小さな冒険のなかで、幼いポニョと宗介が、自分のことよりもまず先に、相手のことを考えながら行動を共にするくだりは、観客の心に平和のあかりを灯す。愛を貫くには、優しさだけではなく、必ず自己犠牲を伴う勇気が必要となる。それは宮崎映画に一貫して描かれてきたことでもある。
彼らが示す見返りを求めない愛情。終始、その濃度を希釈しなかった点は、特筆大書すべきだろう。そのあまりに打算のない清廉さは、世間擦れした大人にはまぶしいくらいだが、まぶしいがゆえに、ハっとさせられることも多い。
そんな「崖の上のポニョ」だが、そのプロットは、実は単純な平面構造ではなく、宮崎映画ならではの特殊な立体構造になっている。
生命体よろしく躍動する海、その海に棲むさまざまな生き物、水没する街、ポニョの両親(元人間と思われる父親と、慈悲深い守り神のような母親の関係)、車いすの老人たちの若返り、無謀な行動を取る宗介の母、姿カタチが随時変化するポニョ……。一つひとつの設定やシーンに込められた意味やメッセージを読み取る楽しみを、観る者に残しているのだ。
希望だけではなく、悲観や絶望ともとれるエッセンスも内包している。とりわけ人間の手に負えないモノ——たとえば、自然や死や神——に対する畏怖にも似た感覚が非常に先鋭的だ。それらは、ポニョと宗介が紡ぐ希望の対極にあるもののようでもあり、突きつめた場合、同極にあるもののようでもある。宮崎監督の紡ぐ世界は、いつでも表面的な違いを示すにとどまらない。
宮崎駿監督が指揮した前作「ハウルの動く城」も、宮崎流の意味やメッセージが多彩にちりばめられた作品であったが、主たる物語で奇をてらいすぎたことにより、万人に受け入れられなかったように思う。
一方、「崖の上のポニョ」は、主たる物語を分かりやすく整備することにより、万人が楽しめるエンターテインメントとしての体裁をキープ。そのうえで、物語の背後のそこかしこに、宮崎監督が敬愛するモノに対するオマージュを含め、映画好きや宮崎ファンの期待を裏切らない深みを忍ばせているのだ。
宮崎映画に“解読”は必須だが、本作もそのご多分にもれていない。宮崎駿のスピリットは、世界中の人の解読の対象となり、議論の俎上に載せられ、ときに絶賛を浴び、ときに批判の矢面に立つ。そもそも“面白かった”“つまらなかった”で終わらせられる作家ではないのだ、宮崎駿という芸術家は。
もちろん、これまでに数々の傑作の生み出してきた監督だけに、厳しい基準で評価される宿命にはあるが(過去の作品と比較されやすい)、それは、すなわち、宮崎映画が残してきた功績の裏返しにほかならない。そしてまた本作「崖の上のポニョ」は、そうした厳しい基準の評価に絶えうるにだけの底力と得体の知れなさを併せ持った作品のように思う。

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