「路上のソリスト」
2009.5.25
30日に公開される「
監督:ジョー・ライト 原作:スティーヴ・ロペス 脚本:スザンナ・グラント 出演:ジェイミー・フォックス、ロバート・ダウニーJr、キャサリン・キーナー、トム・ホランダー、リサ・ゲイ・ハミルトンほか 上映時間:117分 配給:2009米/東宝東和
LAタイムスの人気コラムニストのロペス(ロバート・ダウニーJr)は、ある日、ベートーヴェンの銅像が建つ公園で、路上で暮らす音楽家ナサニエル(ジェイミー・フォックス)と出会う。ナサニエルは、その昔、名門「ジュリアード音楽院」に通っていたが、病のために中退を余儀なくなれたという。ナサニエルの人生に興味を抱いたロペスは、彼についてのコラムを書く決意をする……。
物語をけん引するのは、路上のソリストのほうではなく、コラムニストのロペスのほうだ。はじめは好奇心をくすぐられたにすぎなかったが、ナサニエルの音楽家としての才能に触れるにつれて、「彼をなんとかして救いたい!」という気持ちがロペスに芽生え始める。――そこから本当の物語が始まるのだ。
「人と人の距離」を描いた物語ともいえる。ナサニエルが路上で暮らしているのは、慢性的な心の病(統合失調症)のせいでもある。そんな彼をロペスは救おうとする。だが、救おうと思って救える他人の人生などそうない。案の定、ロペスの差し伸べた手は、その親切心とは裏腹に、ナサニエルの音楽家としての聖域を侵し、さらには、彼のLAという街に対する愛情や、神と寄り添う心の平穏までをも奪いかける。
順調に育まれてきたかのように見えたふたりの友情は、ある出来事をきっかけに、砂上の楼閣よろしく瓦解寸前となる。この映画は、そこに一筋縄ではいかない人間関係の本質を映し出す。ロペスに同情する人もいれば、ナサニエルに同情する人もいるだろう。どちらが正しい? 正解や模範解答は、おそらく、ない。
気になるのが、ナサニエルのその後についてだが、ナサニエルには愛する音楽があって、尊敬するベートーヴェンがいて、「やることをやって、ベートーヴェンのように死にたい」とうそぶく夢がある。置かれた環境がどうあれ、彼は自分がやりたいことに熱中することで、これまで通り、心の平穏を手に入れていくのであろう。そして、その平穏のなかにあって初めて、ロペスという友人の大切さに、ふと気づく日がくるのかもしれない――。そんなことを思った。
全編で響くベートーヴェンを中心としたクラシックの名曲は、この映画の魅力のひとつ。「つぐない」を撮ったジョー・ライト監督の作品系譜にふさわしい上品で文学的な雰囲気作りに一役買っている。ただし、一辺倒すぎる音楽の使い方(録音の仕方)にはもう少し工夫がほしかった。路上も屋内もコンサートホールも、すべての音があまりに均一化されすぎている。BGMならまだしも、臨場感が求められる生音の表現としては、いささかリアリティに欠ける。
ナサニエル役のジェイミー・フォックスは、「Ray/レイ」(04年)での好演を彷彿とさせる入れ込んだ演技を披露。この手の役をやらせたらまず間違いないという当たり役だ。一方、ロバート・ダウニーJrの役作りも立派だが、物語としては、ロペスのコラムニストとしての才腕があまり活かされていない点に、わずかながらに弱さを感じた。実話を尊重するジョー・ライト監督の姿勢は賞賛に値するが、ロペスの影響力のあるコラム記事と救世主じみたある種の思い上がりに、ナサニエルが思いきりミスリードされていくような大胆な展開力があってもよかったかもしれない。
本作「路上のソリスト」は、単純に音楽ありきの映画ではなく、許容と拒絶の狭間でゆれ動く友情や、人生における幸せの意味を真摯に描いたヒューマンドラマだ。たとえば、ナサニエルの手に握られるのが、バイオリンやチェロの「弓」ではなく、絵画を描くための「筆」や、詩を書くための「ペン」、あるいは写真を撮るための「カメラ」であっても、この作品の神髄が揺らぐことはなかっただろう。
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