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映画批評「レスラー」

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2009.6.4 映画批評
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13日公開の「レスラー」。
監督・製作:ダーレン・アロノフスキー 脚本:ロバート・シーゲル 撮影監督:マリス・アルベルチ 主題歌:ブルース・スプリングスティーン 出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ、エバン・レイチェル・ウッドほか 上映時間:105分・R-15 配給:2008米/日活
プロレスラーのランディ(ミッキー・ローク)は、かつて絶頂の人気を誇っていた。20年がすぎた現在は、トレーラハウスに住み、小さな興行に出場しながら生計を立てている。ある日、試合後に心臓発作を起こしたランディは、医者から引退をうながされる。途方に暮れた彼は、行きつけのクラブのストリッパー、キャシディ(マリサ・トメイ)に事情を打ち明けにいくが……。


ランディの生きる意味はプロレスのなかにあり、唯一の居場所はスポットライトが照らすリング上にある。リング上の彼は、ファンの拍手喝采を浴び、同僚からリスぺクトされる存在だ。ランディにとっては、確かな「生」を実感できるかけがえのない空間でもある。
しかし、リング場外にある彼の日常は、思いのほか荒んでいる。頼れる身内や友人もいなければ、家賃を滞納するほどお金にも苦労している。不器用で冴えない中年男。ふだんの彼が浴びるものといえば、拍手や喝采の類ではなく、周囲の冷ややかな視線くらいなものだ。
この映画は、そんな男から、唯一の居場所を奪う。途方に暮れたランディが、疎遠にしていた娘との距離を縮めようと努力するくだりが、えも言われぬせつなさを誘う。百戦錬磨の屈強なプロレスラーが、初めて体験する喪失感と孤独に耐えきれず、よもやフォールを奪われそうになるのだ。
挫折の物語にもかかわらず、シリアスになりすぎていないのは、ランディの素顔をユーモアたっぷりに描いたダーレン・アロノフスキー監督の手腕によるところが大きい。キャシディと80年代の音楽について語り合う姿。娘に贈るプレゼントを選ぶ姿。近所の子供とプロレスゲームに興ずる姿。スーパーの肉売り場でハッスルする姿――。けなげで優しいランディの心根がうかがい知れるシーンが随所に挟まれている。知らぬ間にランディのファンになっている観客も少なくないだろう。
プロレス興行の舞台裏を赤裸々に描いたエピソードの数々や、熱気のこもったプロレスシーンもリアルで見応えがある。終盤、ランディがテーピングの下に忍ばせた「あるモノ」で何をするのか、目を背けずに見てもらいたい。そこには「美談」や「センチメンタル」を越えた、ひとりのプロレス屋の生き様が映し出されているはずだから。
80年代とは驚くほど風貌が変わった(ボクシングや整形の影響だという)ミッキー・ロークとこの映画を重ね合わせるな、というのは、ムリな話だ。主人公のランディは、紛れもなくローク自身であり、彼の全盛期を知る者にとっては、現実と虚構を超越した特別な感慨が、主人公への感情移入を大いに手助けするはずだ。本作「レスラー」のファインプレーをひとつ挙げるとなら、ダーレン・アロノフスキー監督が、執拗なまでにミッキー・ロークの起用にこだわった点、これに尽きる。
エンディングロールで流れるのは、ブルース・スプリングスティーンが、友人であるミッキー・ロークのために無償で提供した主題歌「ザ・レスラー」だ。ランディの気持ちに寄り添うかのように<通りをよろよろ歩いている一本脚の犬を見たことがあるか。もし見たことがあるなら、それが俺の姿だ>と歌うスプリングスティーン。その朴訥なメロディと年季の入ったしゃがれ声が、愚直なほど不器用で潔く、それでいて豊かなランディの人生と重なる。


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