映画批評「愛を読むひと」
2009.6.26 映画批評
公開中の「
監督:スティーブン・ダルドリー 原作:ベルンハルト・シュリンク(「朗読者」) 脚本:デビッド・ヘア 出演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、レナ・リノン、ブルーノ・ガンツほか 上映時間:124分・PG-12 配給:2008米・独/ショウゲート
舞台は1958年のドイツ。体調を崩して座り込んでいた15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)を21歳年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)が助けたことをきっかけに、ふたりは恋に落ちる。毎日のように逢瀬を重ねていたふたりだったが、ある日突然、ハンナが姿を消してしまう。8年後、大学生になったマイケルが偶然目にしたのは、ナチスの戦犯裁判の法廷で被告席に座るハンナの姿だった……。
序盤は、欲情にかられるままにお互いを求めあうマイケルとハンナのベッドシーンが、エロスたっぷりに描かれる。お互いの体をむさぼり合う動的な描写と、マイケルがハンナにせがまれて本を朗読する静的な描写。この美しい対比のなかで、一糸まとわぬ姿以上に強い印象を残すのが、のちの展開の心理的伏線となるハンナの“物憂げ”な表情である。
ハンナが突然姿を消して以降、映画は、極めて個人的な純愛物語から、「ナチスの戦争犯罪」というシリアスな社会派物語へと舵を切る。1943年当時、ドイツ国内には90万人のナチス親衛隊がいたとも言われている。そのひとりとして、命令されるがままに職務を遂行したハンナの罪がいかほどか、その見解は立場によってさまざまだろう。彼女は冷酷な殺人犯なのか、それともスケープゴートにされたにすぎないのか、あるいは……? 観客は、またたく間に、簡単に答えの出せないジレンマを突き付けられる。
この映画が極めて優れているのは、一見大きなサイドチェンジを試みながらも、個人的な純愛物語という当初の軸をまったく失っていない点にある。裁判を傍聴するなかで、マイケルは法廷内の誰ひとりとして気づいていないハンナのある個人的な秘密に気づく。それは、かつてのふたりの儀式(朗読)に関係するものであった。もしマイケルがハンナの秘密を公にすれば、あるいは彼女の罪は軽くなるかもしれない。だが、悩んだ末にマイケルは公表を思いとどまる。マイケルが選択したのは、歴史的真実ではなく、愛する人のプライドを守ることであった。
刑務所生活を送るハンナが、あるときから「特別な方法」でマイケルに支えられる姿が胸を打つ。ハンナの瞳に生気らしきものがよみがえる。いかなる境遇にあろうとも、愛と希望があれば、人は強く生き続けることができる。そうも確信させてくれる。だが、人間という生き物の複雑で流動的な内面に切り込むべく、本作「愛を読むひと」は、なかば確信犯的にハッピーエンドへの安全ルートを回避する。
ハンナの釈放日の1週間前に、マイケルとハンナが20年以上ぶりに再会するシークエンスは、これがもしDVDなら、何度でも見返すところだ。このわずか数分のやり取りのなかで、ハンナが失ったものは何だったのか? と同時に、ハンナが姿を消して以来20年以上にわたって、マイケルが失い続けてきたものは何だったのか? それらが、さり気なく提示される。そして、深くせつない余韻と、解釈の余地を観客に残しながら、物語は静かにその幕をおろす。
ハンナを演じたケイト・ウィンスレットは、孤独や憂いや不安が入り交じった心情を繊細に表現。フルヌードによる甘美なベッドシーンからペーソスに満ちた老いの姿までを、言葉少なながらも、全身全霊を捧げて演じきった。アカデミー賞主演女優賞受賞も納得の仕事ぶりである。硬質で重層的なドラマを紡いだ俊英スティーヴン・ダルドリー監督は、『リトル・ダンサー』(00年)、『めぐりあう時間たち』(02年)に引き続き、本作でもアカデミー賞監督賞にノミネートされる快挙を成し遂げた。
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