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映画批評「ぼくとママの黄色い自転車」

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2009.8.18 映画批評
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8月22日公開の「ぼくとママの黄色い自転車」。
監督:河野圭太 原作:新堂冬樹(「僕の行く道」) 脚本:今井雅子 音楽:渡辺俊幸 主題歌:さだまさし 出演:武井証、阿部サダヲ、鈴木京香、西田尚美、甲本雅裕、ほっしゃん。、柄本明、鈴木砂羽、市毛良枝ほか 上映時間:95分 配給:2009日/ティ・ジョイ
父とふたりで暮らす小学3年生の大志(武井証)は、パリに住む母(鈴木京香)から定期的に送られてくる手紙を楽しみにしていた。ところがある日、母がパリではなく、本当は瀬戸内海の小豆島にいることを知る。母に会いたくなった大志は、愛犬のアンと愛車の黄色い自転車と一緒に小豆島に向かう。小豆島で大志は母の秘密(記憶を失う病気)を知り……。


親子愛を描いた物語であり、少年の成長を描いた物語でもある。母がなぜ大志と離れて暮らしているのか、その理由は、折につけ挟まれる回想シーンにより、少しずつ明らかになっていく。母にしてみれば、わが子を愛するがゆえの決断であった。
クライマックスはもちろん大志と母の再会の場面だ。こんな日が来ることを予期していた母は、大志の反応を見透かすかのように「あるもの」を用意していた。小さな子をもつ親であれば十中八九「お涙進呈」となるだろう。鼻白む人もいるかもしれないが、母の立場に立って考えたときに、彼女の行為を真っ向から否定できない以上、このシーンを「あざとい」と切り捨てるのは適切ではなかろう。
記憶障害を扱った作品には、「私の頭の中の消しゴム」(04)、「博士の愛した数式」(05年)、「明日の記憶」(05年)、「ガチ☆ボーイ」(08年)などがある。記憶や思い出が失われていくなかで、本人や親しい人たちが向き合う葛藤や哀しみは、たしかにドラマになりやすい。それは、喪失という現実を通じて、人が人を愛することの根源的な意味を問いかけてくるからでもある。
「親子愛」という最重要テーマと並行して、この映画は、ロードムービーの形態を借りながら、大志の人間的な成長を描いていく。横浜から小豆島という距離(約500km)は、小学3年生にとっては世界、いや宇宙の果てに行くような感覚だろう。道中、さまざまな人々——男勝りな女性トラック運転手、小さなお好み焼き屋を営む母と子、家族に素直になれない孤独な老人など——との出会いを通じて人の優しさに触れ、また思いがけぬトラブルに見舞われながらも、それらを乗り越えてたくましくなっていく大志の姿に、励まされ、勇気づけられる子供もいるだろう。
大志と同世代の子供たちにとっては、大志が経験する一つひとつの出来事が、ワクワクとドキドキの連続であり、同時に、自身の世界観を広げてくれる貴重な脳内体験となるだろう。主演の武井証くんや愛犬のアンも頑張っていることなので、一部突飛なドラマや、一部役者の演技の至らなさや、一部演出や編集のぎこちなさには目をつむろう。
子供であれば子供目線で、大人であれば大人目線で感情移入できる本作「ぼくとママの黄色い自転車」は、すなわち親子で鑑賞するにふさわしい佳作だ(「文部科学省選定」作品)。親子で連れ立って劇場に出かけ、鑑賞後に素直な感想や意見をぶつけ合えば、その絆がより強くなるかもしれない。人によっては、ふだんはなかなか気づきにくい、身近な家族の愛に気づくいい機会になるだろう。

お気に入り点数:65点/100点満点中

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