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映画批評「終着駅 トルストイ最後の旅」

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2010.9.14 映画批評
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公開中の「終着駅 トルストイ最後の旅」。
監督・脚本:マイケル・ホフマン 原作:ジェイ・パリーニ 撮影:セバスチャン・エドシュミット 美術:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン 音楽:セルゲイ・イェチャンコ 出演:ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー、ジェームズ・マカヴォイ、ポール・ジアマッティ、アンヌ=マリー・ダフ、ケリー・コンドン、ジョン・セッションズ、パトリック・ケネディほか 上映時間:112分 配給2009独、露/ソニー・ピクチャーズ
スターやヒーローは、遠くの人には愛されるが、近くの人には恨まれる。よく耳にする話だ。肥大化しながら世の中を一人歩きする自分の虚像と、現実の自分(実像)とのギャップが生み出す皮肉のようなものである。
「愛」「非暴力」「道徳」を唱える理想主義者のトルストイ。冨も名声も手に入れたこの歴史的文豪の妻が、「世界三大悪妻(※)」のひとりだというのだから、神様も相当に高みの見物がお好きなようである。


ロシアの文豪トルストイ(クリストファー・プラマー)に半世紀に渡って添い遂げてきた妻ソフィヤ(へレン・ミレン)。晩年、トルストイが著作権(=財産)を放棄しようとしたことで、彼女はトルストイに対する不信感を強める。家庭内の不穏な空気に心を痛めたトルストイは、82歳にして家出をするが、その旅の道中、名もなき駅で天に召されてしまう……。
「愛」とはいったい何なのだろう? 本作「終着駅 トルストイ最後の旅」は、その問いにひとつの回答を示している。理想の「愛」を提唱する人間が、自宅ではやっかいな夫婦の問題を抱えていた。どれほどの偉人であれ、「愛」にはきっと不可解さがつきまとうものなのだ。文学の大家でさえ例外ではなく。その事実が、偉大でも特別でもない私たちに安堵をもたらす。
トルストイ信仰者(ファン)がソフィヤをバッシングする気持ちも分からなくはない。たしかに彼女は、少々わがままで感情的で神経症的である。著作権放棄という英断を下すトルストイに不満たらたらな様子などを見れば、“がめつい守銭奴”という誹りを受けても致し方あるまい。
とはいえ、映画は「トルストイ=善、ソフィヤ=悪」というステレオタイプな結論を導き出そうとしているわけではない。それどころか、ソフィヤのトルストイへの深い愛情こそが「悪妻」の養分である、とでも言いたげだ。
なるほど彼女は、トルストイの『戦争と平和』を生涯に6回も書き写したという。それほど熱烈なトルストイ信者がほかにいただろうか。そう考えると、彼女の駄々っ子然とした振る舞いの数々もまた「愛の一形態」のように思えてくる。そもそも、妻である以上、夫の著作権放棄に異議を唱えるのは、まっとうな権利ではないか。
トルストイ夫妻の物語に並行して、トルストイに心酔する若き秘書ワレンチン(ジェームズ・マカヴォイ)の視点を盛り込むことで、映画は「愛」というテーマをより多角的、立体的に浮き上がらせようとする。
トルストイが掲げる「理想の愛」と、トルストイの実生活が写し出す「現実の愛」。その狭間で悶々としながらも、最後にはワレンチン自身が実体験を通じて、愛の本質を見極めていく姿勢がいい。「愛」は教えられるものではなく、自分自身の体感として創造されるべきもの――。映画のテーマはここに集約されているのかもしれない。
クリストファー・プラマーとへレン・ミレンの情熱的な演技が、見た目はシワだらけのトルストイとソフィヤを瑞々しくよみがえらせた。多感で傷つきやすい。まるで少年少女のようでもある。ふたりの好演がなければ、人生の終末期においてもなお浮き沈みをくり返す「愛」の気まぐれな性質を描くことはできなかっただろう。
鑑賞後の長く深い余韻に浸りながら、しばし「愛」と「人生」の意味を考えずにはいられなかった。
※世界三大悪妻は、トルストイの妻ソフィヤのほかに、残りふたりは哲学者ソクラテスの妻クサンチッペと、モーツアルトの妻コンスタンツェ。

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