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「エレクション」

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2006.10.16
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07年正月弟2弾公開予定の「エレクション」の試写。
弟58回カンヌ国際映画祭正式上映作品。香港での正式タイトルは「黒社会」(「エレクション」は英訳)。
監督・製作:ジョニー・トー 脚本:ヤウ・ナイホイ、イップ・ティンシン 出演:サイモン・ヤム、レオン・カーファイ、ルイス・カーほか 上映時間:101分・R-15 配給:2005香/東京テアトル=ツイン
肩に鉛をのせられたかのようだ。重たい。なんだろう、骨太なマフィア映画を見たあとにだけ感じる、この独特の疲労感は。


香港最大の裏組織で2年に1度行われる会長選挙は、候補者をめぐって意見対立が起きていた。組織を忠実にまとめるロク(サイモン・ヤム)なのか、荒っぽい手段を使って力ずくでけん引するディー(レオン・カーファイ)なのか…。やがてNo.1をめぐる対決は大勢の人間を巻き込んでの闘争劇へと発展していく!
冴え、際立ち、疼き、うごめき、荒ぶり、のたうち回っている、この映画は。人間の本能的な攻撃性を気づかせるに十分なパワーを秘め、同時に、いっさいの妥協や日和見を排除。もっと言えば、観客に対するサービス精神も、ない。
権力をめぐる血なまぐさい闘争は、マフィア映画の基本軸となることが多いが、本作「エレクション」でも、その基本軸にブレはない。ブレがないどころか、観客にひとつの息継ぎも、また、まばたきさえも許してはくれない。
権力、名誉、出世、反逆、金銭、プライド……錯綜する人間の強欲と、そこから表面化する人間の弱さともろさを、物怖じしないこの映画監督は、いつもどこかに隠れ潜んでいるかのようなカメラワーク、陰影深い映像、圧倒的なスピード、そしてストイックかつ大胆な演出で射抜いていく。
鋭く、リアル。
一般的なマフィア映画同様に、この物語でも敵、味方が判別できないほど事態は混沌を極めるが、その群像劇の詳細を把握することに大きな意味はない。マフィアの世界は所詮カオスだから。
むしろ、ほとばしる裏社会の息吹、そして役者たちの断崖を背負ったかの如くすごみのある演技に注目したいところである。
徹底して、痛々しい。
裏社会で敗者となることが何を意味するのか? あるいは、掟に逆らった者に待ち受けている結末とは? ……それらの答えを目の当たりにするたびに、不意に後ろから睾丸を握られたかのような決定的なショックを受ける。
それは、のどもとに刃物を突きつけられたときにしか“死の重み”が分からないと同じように、「エレクション」のような作品に出合わなければ、味わうことのできない高純度な現実的感覚とでもいおうか。
ひとつ思うのは、この映画が描いているものは、“逃げ道”なのかもしれない、ということ。表社会には裏社会という逃げ道があるのかもしれないが、裏社会というのは、常に一本道。逃げるが最後、八方ふさがりの袋小路である。
裏社会における“逃げ道”——それは死を意味する。
ただし、表社会と裏社会は完全な別世界でもない。裏が表の陰に存在するとしたら、表も裏の陰に存在するはず。要するに、この作品が描く強欲さや残虐性は、少なからず表社会を示唆してもいるのだ。
ゆえに、この映画を見ているあいだ中、脈の速まりを抑えることができないのだろう。
マフィアから飛び散る血しぶきは、ボクやアナタの血しぶきともいえる。
見て見ぬふりをすることも簡単にできる人間の攻撃性やエゴイズムや強欲を、見て見ぬふりどころか真正面からにらみすえる気鋭監督に、心から敬意を表したい。
特筆すべきは、権力を手に入れた者にしかわからない“恐怖心”。それがいかなるものかを如実に描いたラストシーンに、ゾクゾクするほどの衝撃を味わってもらいたい。
権力とは、なんと孤独なものだろう、と思う。
観客を楽しませる余白などは寸分も挟まずに、マフィアという舞台で繰り広げられる人間の運命劇を作品化した「エレクション」は、権力という底知れぬ魔力に惹かれ、“死の恐怖”と枕を共にすることも辞さない男たちの、生きる覚悟とせつなさをエモーショナルに描いた会心作である。

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