山口拓朗公式サイト

「フリーダムランド」

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2006.11.21
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来年1月に公開される「フリーダムランド」の試写。
リチャード・プライスの全米ベストセラー小説を完全映画化。監督・脚本:ジョー・ロス 出演:サミュエル・L・ジャクソン、ジュリアン・ムーア、イーディ・ファルコ、ウィリアム・フォーサイスほか 上映時間:112分 配給:2005米/ソニー
ある夜、暴漢にカージャックされた女性ブレンダ(ジュリアン・ムーア)が警察に駆け込む。強奪されたクルマには4歳になる息子が残されていたという。児童誘拐事件として捜査を始めた警察。しかし、痕跡はなく、目撃者もゼロ。唯一の手がかりは母親の証言だけだが…。なにかが違う。事件を担当する刑事ロレンゾ(サミュエル・L・ジャクソン)はある秘策に打ってでるが…。


ミステリーとして見ると失敗する。だが、ヒューマンドラマとしても弱い。全体的にまとまっていながらも、どこか散漫だ。それこそ、何かが違う。そんな違和感が充満している作品である。
警察に駆け込むブレンダ。暴漢に襲われたという。つまり被害者。(ブレンダの話を信じるのであれば)ブレンダはその場にいたのだから、彼女の証言が、事件の解決にもっとも有効なものになるだろう、と観客の多くが推察する。
ただ、ミステリーに期待を寄せる観客のひとりとしては、この「ブレンダ=事件解明のカギを握る人物」という構図が、いつ、どのようにしてひっくり返されるかにも密かに注目しているわけである。見逃すまい、聞き逃すまい、ダマされまい、と五感を研ぎ澄ましてスクリーンをみつめながら。
ところが、行けども行けども捜査は進展せず、足踏みを続けるばかり。あげくの果て、思わせぶりに動き始めた物語に、正面突破をはかられてしまう…。
伏線がないというよりは、もともと本線しかないということなのか?
百歩譲ってミステリーとしてのオチの甘さは許容しよう。ただ、そこに至るバックグラウンド(理由や動機)が極めて容認しがたく、感情移入しづらいのは問題ではないだろうか。事件に説得力を求めるのもおかしな話かもしれないが、それがムリなら、せめて犯人に対して何らかのシンパシーを感じられる作りにしてほしかった。
物語前半に芽生えたイライラが、事件の結末を受けてさらに増幅するという、あまり手放しで喜べない作品。なかには、真犯人に対して「この人騒がせ!」と罵声を浴びせたくなる人もいるだろう。
また欲張りなことに、本作では、話の軸となるミステリーの周辺に、貧困や人種差別、児童虐待など、さまざまな社会問題をちりばめているのだが、そのすべてが中途半端で、安易で、表面をなぞるようなカタチでしか表現されていない。
これらの周辺物語が、ミステリーの真相にフィルターをかける“隠れ蓑”であってくれたなら、まだ救われもしたのだろうが…。
そうしたなか、ブレンダを演じるジュリアン・ムーアの演技は見ものである。物語の全編にわたってひたすら病的な精神破綻者を演じる彼女の、美貌のカケラもないやつれ具合と覇気のなさ。好演というより“怪演”。この入魂の怪演がまた観客のイライラを増幅させる一要因になっているのが、皮肉といえば皮肉なのだが。
唯一、個人的に興味を惹かれたのは、姿を消した4歳の子供が最後に放ったという戦慄のひと言である。その言葉が何を意味するのか、それを耳にした者が何を感じたのか、そして、その言葉が暗示していた結末とは…。
箇条書きのように盛り込まれた社会問題より格段に興味深い、ある“ひと言”。そこに込められた“怨念”めいたものを、もっと深く掘り下げることはできなかったのだろうかと、かえすがえすも残念である。

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