山口拓朗公式サイト

「クィーン」

Pocket

2007.4.24
movie.queen.jpg
公開中の映画「クィーン」を観賞(3月某日・試写にて)。
2006年英仏伊合作。第76回アカデミー賞主演女優賞はじめ、多くの映画賞を受賞した話題作。監督・製作:スティーブン・フリアーズ 脚本:ピーター・モーガン 出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン ジェームズ・クロムウェル シルビア・シムズ アレックス・ジェニングスほか 上映時間:104分 配給:2006英.仏.伊/エイベックス・エンタテインメント
1997年8月31日、パリでダイアナ元皇太子妃が自動車事故により急逝した。事故直後、イギリス国民の関心はエリザベス女王に向けられたが、エリザベス女王は沈黙を貫き、半旗を掲げることもなければ、コメントすら出さなかった。国民のエリザベス女王への不信感は募り、女王はいよいよ窮地に追い込まれる。この険悪な空気を察知した当時の首相、トニー・ブレアは、最悪の事態を避けるための提言を女王に行ったが……。


1990年代。チャールズ皇太子の不倫問題や皇太子とダイアナの離婚問題など、英国王室は前代未聞のスキャンダルに見舞われ、常にマスコミの矢面に立たされてきた。ダイアナの事故死は、そんな一連のスキャンダルがようやく沈静化しかけたときに起きた。スキャンダルの総仕上げにしては、あまりにも笑えない悲劇であった。
わずか10年前の史実を映画にすることの大変さは想像に難くないが、題材が題材なだけに、この映画を製作するリスクは相当に高かったと思う。テーマの切り方によっては、猛烈なバッシングを受けることになるだろうし、視点の置き方によっては、陳腐なプロパガンダ映画になりかねない。
もっとも危惧したのは、映画自体が、諸説あるダイアナの死の謎にひとつの答えを導き出すようなものであった場合だ。不倫&離婚問題を通じて、言いたい放題祭り上げられてきた英国王室を、一部のクリエーターの手によって(それがたとえ映画界の巨匠であったとしても)、さもそれが事実のように語られようものなら、それこそ目も当てられないと思った。
そういう意味では、本作「クィーン」を観てほっとした。それは、この映画が、すばらしく冷静な切り口と視点によって、懸念されるリスクを跳ね返しているからだ。
この映画は、ダイアナの事故死が誰の責任なのか追求しているか?−−していない。ダイアナを完全無欠な善人として、あるいは計算高い悪人として描いているか?−−描いていない。王室やエリザベス女王を必要以上に善人として、あるいは悪人として描いているか?−−描いていない。
この作品は、ダイアナの事故の真相や王室の真相に切り込むような、タブロイド紙的な視点をことごとく排除して、「ダイアナの事故死→沈黙する王室→コメントを発表する女王」という客観的事実に、当時の王室の内情を知る周辺人物への取材を加えて構成された“主張レス”な物語であり、一連の客観的事実のなかで揺れ動いたひとりの人間(エリザベス女王)の心情を浮かび上がらせることに専念している。
テーマは、王室の実態でも、政治問題でも、歴史の検証でもない。
エリザベス女王の“プライド”である。
王室を一般家庭に置き換えれば話はわかりやすい。息子夫婦が離婚をした。姑が離婚の原因を息子にあると考えている場合は話は別だが、嫁にあると考えている場合、姑が嫁を擁護するような発言(行動)をすることは考えにくい。憎しみをもつかどうかは別としても、少なくとも“赤の他人”という意識はあるだろう。
姑であるエリザベス女王が、ダイアナにどのような感情を抱いていたかは、劇中で“明確”には示されていないが、エリザベス女王のちょっとした仕草や表情や発言から、“明確”以上に示されている。想像上以上に根深い女王とダイアナの確執を。
事故直後にコメントを発表することは、ダイアナの死を悼む国民の気持ちに配慮する最善策であったにもかかわらず、エリザベス女王は沈黙した。一日のみならず、数日間も。このあたりの女王の心理を読み取ることは、この映画の味わいにほかならない。「コメントを出さない=国民感情を逆なでする」という最悪のシナリオが着々と進行しているにもかかわらず、女王はかたくなに態度を変えない。
さらに言えば、人間はかたくなになればなるほど、疑心暗鬼になりやすくなる。沈黙を貫くことに加え、その気持ちを察してくれない国民の苦言を耳にするうちに、ダイアナに対する憎しみが増幅した可能性は大いにある。死んでもなお王室に迷惑をかける憎いやつ!——それくらいの感情はあったのかもしれない。国民から絶大な支持を受けているダイアナへの嫉妬心も含めて。
とはいえ、コトは英国の象徴たる王室にまつわる出来事である。いつまでも個人的な感情を優先させるわけにはいかない(十分優先させたって?)。彼女は、自身に固着して離れないプライドをぶら下げたまま、ついに国民の前の姿を現す……。
本作でアカデミー賞主演女優賞に輝いたヘレン・ミレンが、自らのプライドと戦う孤高の女王を演じている。女王がひとりで車を走らせていたときにクルマが故障するシーンでは、権力を握る者にしか分からない孤独さや不自由さや弱さが、その表情に見て取れた。言葉数こそ少ないものの、その目や口もとが雄弁に何かを物語っている。そんな静かな演技を随所に光らせていた。
女王として生きなければならない運命の呪縛と、個人的な憎悪や嫉妬、そしてプライド。そうしたものを抱え、気高き自尊心をキープしながらも葛藤し続ける英国女王の物語。それが映画「クィーン」である。
実はこの映画のキープレイヤーは、エリザベス女王と女王に反感をもつ国民の橋渡し役となる当時のブレア首相なのだが、女王と首相双方のバランス、互いが感じている思い(ホンネ)が、物語が進むなかでどのように変化していくのか、そのあたりにも注目すると、より深く作品が味わえると思う。
この手のシビアな史実を題材にしながらも、プロパガンダ臭さやメッセージ性を極力抑えて(性質上まったくないということはない)冷静な筆致を保った点も含めて、この作品に対する各方面からの評価は妥当なものと言えるだろう。エンターテインメント性は微量である。淡々と感情の揺らぎを追ったシリアスな作品である。

↓ふむふむ、と思った方はポチっとお願いします★
人気blogランキングへ

お気に入り点数:75点/100点満点中

記事はお役に立ちましたか?

以下のソーシャルボタンで共有してもらえると嬉しいです。

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Pocket