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「主人公は僕だった」

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2007.5.8
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5月19日より公開される映画「主人公は僕だった」の試写。
監督・製作:マーク・フォースター 脚本:ザック・ヘルム 出演:ウィル・フェレル エマ・トンプソン ダスティン・ホフマン マギー・ギレンホール クイーン・ラティファほか 上映時間:112分 配給:2006米/ソニー
【ややネタバレを含んでいます】
国税庁に勤めるハロルド・クリックは、毎朝同じ時刻に起き、同じ回数だけ歯を磨き、同じ歩数でバス停まで行き……という超几帳面人間。そんな彼に、ある日突然、女性の声が聞こえてくる。その声は、正確に彼の行動を言い当て、近く訪れる彼の死さえ予言していた。声の主は、小説家のカレン・アイフル。なんと、ハロルドはカレンが書いている小説の主人公だったのだ! 最高傑作の完成を目前に彼女が悩んでいたのは、ラストで主人公をどのように死なせるか…。果たしてハロルドは主人公(すなわち自分)の死を阻止することができるのか?


このあらすじを読んで真っ先に思い浮かんだのは、ジム・キャリーが主演した「トゥルーマン・ショー」(1998年)。この世に生まれて以来、結婚し、保険会社に勤務する現在に至るまでの全時間をカメラで撮られ、24時間生中継でテレビ放映されていた男の物語のことであった。
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トゥルーマン・ショー
人生を自分以外の人間にコントロールされているところが、トゥルーマンとハロルドの類似点だが、設定と展開の面白さは、「トゥルーマン・ショー」のほうが上だろうか。トゥルーマンはドーム状の巨大スタジオ内に押し込められていたが、最後には自力でその虚構の世界から抜け出した。人生は何者にも支配されない ——そのことを示したあのオチはなかなかよかった。
一方、「主人公は僕だった」の主人公ハロルドには自力で現状を打破する力が微弱だ。それは本人の意志の強さウンヌンではなく、そもそもの設置において、運命的な要素が強すぎる。ハロルドの人生を操っているのは、あくまでも小説家のカレン。カレンの筆の動きにハロルドの人生はほぼ100%委ねられている。
自力が許されたトゥルーマンと、自力が許されないハロルド。
そのどちらの人生に映画としての面白さを感じるかは、人それぞれだろが、個人的には前者に軍配を上げたい。
ただ、「主人公は~」の場合は、自分の運命が他者の手に委ねられていることを知って以来、それまでのロボット的な人生を見直し、人間らしい生き方に目覚めるハロルドの心境の変化にひとつの見どころがあり、単純に「トゥルーマン・ショー」と比較すべきではないかもしれない。
とはいえ、ほかにも解せない点はある。たとえば、文学理論が専門の大学教授までもが最高傑作と絶賛するこのカレンの小説——。カレンは自分の小説の主人公ハロルドが実在していることを知って以来、ラストシーンを書き直すか否か悩むのだが、カレンがなぜ当初考えていたラストにこだわるのかが、今一つ判然としない。また、ラストシーンを書き直すことにより、最高傑作でなくなってしまう理由もよくわからない。そもそもこの物語が、人の死を代償にするほどの最高傑作だろうか?
いや、“ロボット的”という主人公のキャラクター設定はたしかに面白いろいし、その人生が小説の筋に従っているというのも興味深い。がしかし、とどのつまりに用意されたラストシーンの中途半端さには、(悪い意味で)ため息をもらさずにはいられない。これが悩みに悩み抜いた末の結末だとは…。
よさそうな代案はいくらでも思いつく。
たとえば——カレン自身が主人公の身代わりになって死を遂げる——というラストなどはいかがだろうか? 少し美談がすぎるかもしれないが、少なくとも(中途半端な本作のラストよりは)驚きはあるし、作者(カレン)は自分の生み出した物語の責任を取ったうえで、遺作にして最高傑作を上梓、伝説的な作家としてその名を歴史に刻む。一方、ハロルドは悪夢からの帰還を果たしてハッピーエンド。この筋のほうが小説と現実の接点がより強くなるような気がするのだが……
……という自画自賛(笑)の脚本はさておき、閑話休題。
“自分以外の存在はすべて虚構なのでは?”
人間、生きていれば、一度や二度はそんなことを考えることもあるだろう。そういう人生の不思議にスポットを当てた映画は、個人的にはかなり好みであり、「トゥルーマン・ショー」にしても「主人公は僕だった」にしても、前半から中盤にかけての先の見えない“お楽しみ感”は十二分。このワクワク&ドキドキを味わうだけでも一見の価値はある。
ただ、「トゥルーマン・ショー」に人生を操る者に対する批判をはじめ、多くの興味深いメッセージが込められていたのに対し、「主人公は僕だった」は、広がりも奥深さも“それなり”止まり。要するに、前述した通り、脚本の展開にひねりが感じられないのである。
神経質な堅物主人公ハロルドをウィル・フェレルが、エキセントリックな小説家カレンをエマ・トンプソンがそれぞれ好演。また、そんな両者の橋渡し役的な大学教授に扮したダスティン・ホフマンのアカデミックな演技も好感度“大”。個性的ながらもバランスの取れた配役は、ファンタジーめいた物語のなかで絶妙なバランスを図っていた。
それだけに、もう少し気の利いた展開にならなかったものかと、一抹の歯がゆさが残る。驚きと説得力を合わせ持ったラストシーンは、この物語には欠かせない必携品ではなかっただろうか。

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