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「ベクシル」

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2007.8.17
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8月18日より公開される映画「ベクシル」の試写。
監督&製作:曽利文彦(「ピンポン」) 脚本:半田はるか 声優:黒木メイサ、谷原章介、松雪泰子ほか 上映時間:109分 配給:2007日/松竹
2067 年、バイオテクノロジーとロボット産業が発展した日本は、ハイテク技術を駆使した“鎖国”を実現。日本の情報は他国に漏えいされることなく10年の年月が流れた……。そして2077年、米国特殊部隊“SWORD”所属の女性兵士ベクシルは、日本潜入作戦に参加。がしかし、そこでベクシルは、想像を絶する光景を目にすることになる。この10年間で、日本に何が起っていたのだろうか?


近未来の日本を舞台にした冒険活劇を、映像クリエーターである曽利監督が“3DCG”と称する再新技術を駆使しつつ映画化。「ベクシル」は、実写気分のリアルさをウリにしている。
アニメのアドバンテージのひとつには、実写でなし得ない映像表現ができることにある。がしかし、すでに実写の世界でもVFXなどを駆使した“超ありえない世界”が表現されて久しい。そう考えると、アニメ映画は、“実写さながらの絵”であることの必要性が問われる時代に入ったといえるだろう。
率直な感想を言うならば、本作「ベクシル」のリアルさくらい観る者にとって邪魔くさいものはない。アニメと割り切って観ることも許されないうえに、実写としてとらえるには、あまりにも違和感がありすぎる。そこには「アニメ=デフォルメ」という等式が与えてくれるお約束の安心感がない。
本作は、トム・ハンクスの顔に無数のセンサーをつけて表情を細かく描写した「ポーラーエクスプレス」と同様のモーションキャプチャーという技術を採用しているようだが、「ポーラーエクスプレス」がリアルでありながらも油絵風の絵作りが魅力的だったのに対し、「ベクシル」には、絵作りとしての魅力が感じられなかった。いや、一貫して冷たくクールな絵作りは、物語の世界観とは合致しているのかもしれないが、反面、表現すべき人間のぬくもりを(ひいては作品の温度さえ)奪ってしまっている気がしてならい。
つくづく思うのは、「最新アニメ技術=より実写に近い=アニメとして優れている」という方程式がまったく成り立たないということ。つまり、映像として優れているということと、映画としての魅力は、まったく別モノであるということだ。
さて、その映画としての魅力という点では、本作「ベクシル」は、その設定が面白い。近未来の日本が鎖国? 人類に延命効果をもたらしたバイオテクノロジー? 鎖国後10年間の空白? 謎めいた設定を中心に据えつつ、そこに潜入部隊を送り込む。考えただけでわくわくするではないか。
しかしながら、実際には、その設定の面白さが伝わってこない。109分という短尺は、構成の巧さというよりは明らかに“帯に短し”の類であるうえ、プロローグから日本潜入までに時間がかかりすぎであり、しかも、その前半が必ずしも後半に生きていないのがイタイ。語られるべきことが語られず、省いて然るべきエピソードが冗長だ。
しかも、要点を得ぬまま進行する物語のツケを支払うかのように、キャラクターの背景から、謎解き、人間模様、アクション(ドライブ感のある映像はなかなかスゴイ)までを、後半で一気にまとめにかかる。あまりに簡単に日本を牛耳っていた中枢が瓦解していくサマは子供だましもいいところだし、なにより、テクノロジーと対比させるべき主人公たちのキャラクターに人間味が感じられない(シリアスすぎ)のは、大きな致命傷だと言わざるを得ない。
そうしたなかでも、「食べる必要もない! 寝る必要もない! そして永遠の命がある! そんなわれわれ日本民族こそが最高の進化であり、これぞ神のなせる業だ!」的なことをうそぶく自己陶酔者を、この殺伐たる世界を生み出した諸悪の根源として登場させたあたりは、この作品に込められた痛烈なメッセージとして心に響く。それは、携帯電話やパソコンですべての人間関係が完結してしまう現代社会にも通ずる警笛であると同時に、クローン人間などがもたらす「技術>人間」に対する恐怖としても示唆に富んでいる。
ただし、そうした示唆も、絵作りや脚本、プロット、キャラクターなどの魅力がバランスよくかみ合ってこそ生きてくるものであり、少なくとも、その重みだけを計るならば、個人的にはこの「ベクシル」よりも、20年以上前に作られた「天空の城ラピュタ」のほうが何倍も切実であり、またエンターテインメントとしても優れていると思う。
映像クリエーターが技術の向上を目指し、新たな作品作りにチャレンジする意義は理解するが、映像はあくまでも映画の一要素でしかないことを自覚する必要があるだろうし、同様に、アニメであることの意味を考えれば、そこに実写感を追求することの本末転倒さについても、自問自答すべきだろう。
本作「ベクシル」は映像技術に対する挑戦としては十分に評価できるレベルではあるが、残念ながら、映像クリエーター界の内輪話の域を出てはいない。「ピンポン」のときの曽利監督らしさが影を潜めている。

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