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「鳳凰 わが愛」

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07.10.3
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11月3日より公開される「鳳凰 わが愛」の試写。
日中友好35周年記念作品。
監督・原案:ジヌ・チェヌ 製作総指揮:角川歴彦ほか プロデューサ:中井貴一 脚本:シェン・ジェ 音楽:S.E.N.S. 出演:中井貴一、ミャオ・プゥ、グォ・タォ、スン・チンチン、イー・カイレイほか 上映時間:121分 配給:2007日・中/角川映画
恋人にちょっかいをかけた相手に暴力をふるい、懲役15年の罪で投獄されてしまったリュウ・ラン(中井貴一)。恋人を思いながら受刑生活を乗り越えようと思っていた矢先、彼は恋人の突然の死を知らされる。が、失意の底に沈んでいた彼に運命的な出会いが待ち受けていた……。


刑務所内で出会った男女が恋に落ちる。
囚人同士が、お互いに隔離された刑務所内で、世間一般の恋人のように互いの理解を深め合うことはできるだろうか? おそらく難しいであろう。つまり、ふたりの恋情は、あくまでもプラトニックの延長上にあるものとして考えるのが妥当である。
わずか2時間で30年の歳月を一気に流す本作は、恋のディテールというよりは——お互いに惹かれ、恋におち、プラトニックを貫く——そんな恋のアウトラインをトレースしていく。配給先の宣伝文句を借りるならば、“30年に渡る愛の一大叙情詩”ということになる。
ただ、いくら限りなく愛に近い高尚なプラトニックが存在したとしても、赤の他人同士であるふたりの感情が愛と呼べるものに昇華した瞬間の具体描写は必要だったように思う。つまり、恋のはじまりとなった“ふたり一緒に懲罰を受けるシーン”だけは、その後30年に渡って貫き続けた愛を裏づけるだけの説得力をもって描くべきではなかっただろうか。
その肝要な心情描写が割愛されてしまっているために、主人公への感情移入はおろか、最後まで恋のうわっつらをトレースしていく物語の波に乗りきれない。
恋物語はさておき、この映画の見どころのひとつは、激動を極めた中国の1910年代~1940年代という時代を物語のなかに投影している点にある。国の統率者がたびたび代り、そのつどが移動したり、恩赦が行われたりと、囚人たちが置かれる境遇が微妙に変化する。囚人に対する看守の態度や束縛具合から、中国の激変ぶりをにおわせるという手法は、なかなか粋である。
とはいえ、エポックメイクな歴史の変換点が唐突に並べ立てられている感は否めず、どこか歴史教科書の年表を見せられているような、つまらなさ、現実感の乏しさを感じる。残念なことに、ここでもネックになっているのは具体性のなさということになる。
そうした歴史年表風に歩調を合わせるように、ドラマの運びも年表風だ。ご都合主義的なエピソード(自殺未遂、谷底に落ちる、脱走、地震……)を羅列することには熱心だが、主人公の内面を丁寧に描写しようという気概が感じられない。とりわけふたりに肉体関係を結ばせたくだりは、プラトニックというテーマさえもぶち壊しにした自爆だったように思う。
ラストシーンでも、皮肉なことに、その都合のよさが完全に象徴されてしまっている。ラストシーンのわずか手前の、リュウ・ランがみずからの“愛”をもってして“憎悪”を封じ込めたシーンが光っていただけに、なおさらにもったいない。もしあのシーンで潔く映画が切り上げられていたならば、本作「鳳凰 わが愛」に対する評価はもう少し違うものになっていたかもしれない。
一大叙情詩を描きたかったという意図は理解できるが、人間が描かれていないため、心が揺さぶられない。物語と観客のあいだにポッカリと口を開けた溝は、言葉少なに多感な主人公を熱演する中井貴一の頑張りを加点したとしても、そうたやすく埋まるようなものではない。ミャオ・プゥが演じたヒロインに魅力がなさすぎるのも、少なからず問題といえるだろう。

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