映画批評「ノーカントリー」
2008.4.29 映画批評
公開中の「
監督・製作・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 原作:コーマック・マッカーシー(「血と暴力の国」) 出演:ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、トミー・リー・ジョーンズほか 上映時間:122分・R-15 配給:2007米/パラマウント=ショウゲート
ハンティング中に、麻薬取引が行われていた現場を見つけたモス(ジョシュ・ブローリン)は、取引にかかわった人間たちの死体と共に、札束がぎっしり詰まったトランクを発見する。モスはトランクを持ち帰るが、その日より彼は、殺人鬼・シガー(ハビエル・バルデム)に執拗に追いかけ回されることに……。
文句なしの傑作だろう。映画史上でも類を見ないほど不気味な殺人鬼シガー。コイツの存在感が圧倒的だ。手錠をかけられたまま保安官助手を絞殺するシーン、そして、クルマを奪うために何食わぬ顔でドライバのひたいに高圧銃をぶち込むシーン。冒頭のこのふたつのシーンで、観客は、シガーがタダモノじゃないことを知る。
ロックオンした相手は必ず仕留める最強のヒットマン。彼のなかにあるもの——たとえば殺しの基準や美学など——そのすべてに興味が惹きつけられる。ただし、シガーはそう簡単に解読できる男ではない。とりわけ“コインの裏表”にまつわるいくつかのシーンは、彼の殺人動機が、単に独自の規範を順守しているだけではないことの証左だ。そこに加味されているものは“偶然性”であり、それは、狙われる立場からすると、死を完ぺきに回避する方策がないことを意味している。すなわちシガーは、この世の“不条理”そのものなのだ。
そんな殺人鬼と、逃亡者とのあいだでくり広げられる追跡劇は、手に汗握るシーンを断続的に用意することにより、観客をまったく飽きさせない。また、ムダのない、それでいて、一つひとつに確かな意味を込めたカメラワークとカット割り、あえてBGMを用いないことで観客の五感に訴えかける演出(逆に効果音を重視)、作品中にちりばめたさり気なくも鋭い社会批判や哲学思想など、随所にコーエン兄弟らしさが散見される。
さらに、起伏の激しい追跡劇の一方で、そんな追跡劇に加わることすらできず、もんもんと焦燥を募らす老保安官の姿を描いている点も、この映画に深みをもたらせている要因のひとつだろう。“追う男”でも“追われる男”でもなく、“追いかけることすらできない男”の存在。この男の存在が何を意味するのか、その解釈は観客一人ひとりの主観に委ねられているが、そこから漂うそこはかとない諦念と虚無感が、コーエン兄弟がこの作品に込めたメッセージであると推察することは、さほど難しくはない。
殺伐とした、理解しがたいさまざまな事象に塗り染められた現代社会の縮図を、忍び寄るスリルと社会的・哲学的なメッセージを込めつつダイナミックに描き上げた本作「ノーカントリー」は、“パワー”というよりは“トルク”のハイスペックぶりが光る傑作。一つひとつのシークエンスは、シーンは、カットは、まさしく職人芸。テーマと意味を突きつめて考えることで、作品の本質に迫ることのできる1本だ。アカデミー賞の主要4部門を射止めた実績はダテではない。
記事はお役に立ちましたか?
以下のソーシャルボタンで共有してもらえると嬉しいです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓