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映画批評「潜水服は蝶の夢を見る」

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2008.5.6 映画批評
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公開中の「潜水服は蝶の夢を見る」。
監督:ジュリアン・シュナーベル 原作:ジャン=ドミニク・ボビー 撮影:ヤヌス・カミンスキー 出演:マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリ=ジョゼ・クローズほか 上映時間:112分 配給:2007仏、米/アスミック・エース
病院のベッドで目を覚ましたジャン=ドー(マチュー・アマルリック)は自分が何週間も昏睡状態だった事を知る。と同時に、自分のカラダがまったく動かないことに気づく。 唯一動かせるのは左目だけ。彼は言語療法士の協力を得て、目のまばたきによって意思を伝える手法を学ぶ。やがて彼は、そのまばたきで自伝を書き始めるのだった…。


注:本レビューでは、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)のネタバレを含んでいます。
全身麻痺。左目でモノを見ること以外に、自分の意思でカラダを動かすことのできない主人公ジャン。そんなジャンの視点にカメラの視点を重ねた前半の約30分は、観客を何とも言いがたい気持ちにさせる。まるで自分が全身麻痺になったような感覚。死をも凌駕する恐怖心を観客に与え、それが意味するものを考えさせる。
目以外の自由を奪われた状態を、果たして生きていると言えるのだろうか? 倫理的、あるいは建前としては、もちろん、それも生きているうちに入る。ただ、もし自分がその立場になったときに、それを自分の人生だと受け入れることができるだろうか? 簡単に出せる答えではない。
映画はいつでも観客に疑似体験をさせてくれる。だが、本作におけるそれは、生半可なものではない。できることといえば、疑似体験を受け入れながらも、一方では、主人公ジャンを客観的に哀れみ、そんな境遇にない自分にホッと胸を撫で下ろすことくらいだ。感情移入を拒みたくなるほどの極限の閉塞感。たまらなくツライ。 
似たような境遇の主人公(女性ボクサー)を登場させたクリント・イーストウッド監督の「ミリオンダラー・ベイビー」(04年)では、イーストウッド扮する主人公のトレーナーが、彼女の未来を憂い、死に至らしめる——というものだった。「ミリオンダラー・ベイビー」が選んだ結末は、観客に人生の意味を倫理的に問いかけるものであった。
患者の視点と観客の視点を同一視させる本作「潜水服は蝶の夢を見る」では、「ミリオンダラー・ベイビー」のテーマが、さらに一段深く掘り下げられている。不自由の身になったジャンは、当初、唯一の意思伝達方法であるまばたきを通じて、言語療法士に「死にたい」と伝える。せつないシーンだ。でも彼には自殺することさえできないのである。動くのは左目だけなのだから。なんという皮肉だろうか。
だが、そんな人生と呼べるか呼べないか分からない境遇にも、希望という名の光は降り注ぐ。それは周囲の人たちのやさしさと励ましにほかならない。もの言えぬ(動けぬ)ジャンの心を読み取り、回復への期待をかける医師や言語療法士、家族といった存在が、彼の生きる意味を辛うじて支える。そして、まばたきを通じて、自分の気持ちを一冊の本にまとめるという目標を見つけ、彼は、気持ちを少しずつ前に傾ける。
どうやら人間は、何かを失うと、そのマイナスを補完しようとするらしい。ジャンのケースでは、全身の感覚を失った代りに、想像力(イマジネーション)に飛躍的な進化が見られた。人間の損害補填装置能力の高さ、とでも言おうか。それは、逆を言えば、恵まれすぎた境遇において、人間は感覚を鈍化させやすい、ということの裏返しでもあるのだが……。
「潜水服は蝶の夢を見る」は、そんな現代人の鈍化した感覚に刺激を与える作品だ。観客は究極的な閉塞感に包まれながら、今ある人生と、自分自身を司る感覚と機能のすべてに感謝せずにはいられないだろう。人間が生きていることは奇跡なのだ。たかだか1800円で、人生にとって大事なことに気づかせてくれる。エンターテインメント性は薄いが、心に残るインパクトは比類なし。“人生を豊かにする映画”とは、本来、こういう作品のことを言うのかもしれない。
ジャンがまばたきで紡いだ言葉が一冊の本として出版されるまでのプロセスが、生に対する“希望”そのものであることに異論はない。そこにかけられた時間と労力の途方のなさが、無条件に胸を打つ。ただし、その“希望”は、この作品においては、あくまでも付属的な意味合いにすぎない。それ以上に——観客に絶望を体験させた、というその一点において、本作「潜水服は蝶の夢を見る」は、最大級の評価を受ける価値がある。


お気に入り点数:90点/100点満点中

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