映画批評「アキレスと亀」
2008.9.19 映画批評
9月20日公開の「
監督・脚本・編集・北野武 音楽:梶浦由記 出演:ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、大杉漣、大森南朋、筒井真理子、吉岡澪皇、円城寺あや、徳永えりほか 上映時間:119分 配給:2008日/東京テアトル=オフィス北野
絵を描くのが大好きな少年、真知寿。彼は両親の自殺というツライ経験を経て青年へと成長していく。やがて真知寿は、最愛の女性、幸子と結婚し、二人三脚で芸術に打ち込むが……。
「TAKESHI`S」「監督・ばんざい!」に続く北野武監督の“自己投影・芸術3部作”の最終章となるのが、本作「アキレスと亀」だ。
北野作品につき、お世辞にも万人受けするとは言い難いが、3部作のなかではもっともテーマが分かりやすく、ストーリーもスマートに整理されている。しかも、「芸術の価値とは?」という自問自答のテーマに、北野監督の“らしさ”、あるいは“自虐”が表れていて、なかなか興味深い仕上がりになっている。
そもそも「芸術の価値とは?」という問いに対する答えは、決してひとつではない、というか、ひとつであるわけがない。がしかし、本作「アキレスと亀」には、「なるほど芸術の価値とはそういうものかもしれないなあ」と思わせる、ロジックのようなものが感じられる。明確に、ではなく、皮膚感覚のようなものとして。そしてまた、一般論とはほど遠いものとして。
一心不乱に絵に打ち込む真知寿と、うさん臭い画商、うさん臭い画商の手玉に取られる絵画愛好家、このあたりの人間関係が突きつける赤裸々なリアリティが絶妙だ。この“さもありなん”な関係を前に、芸術の価値を考えることなど、ややこしい禅問答に付き合うようなものかもしれない。
晩年、画商に否定され続ける真知寿が、画商の言うがままに作風を変えていくくだりには、アイロニー(皮肉)とペーソス(哀感)がたっぷり。それは、夢と現実の狭間でもがくよりほかない、まさしく人間という生き物そのもののだ。一方で、少年期、青年期、晩年と人生を3分割して紡がれる物語は、折につけ、ユーモア(ビートたけし流コント)を挟み込むことにより、真知寿の愚直なほどまっすぐな生き方を、より濃く浮き上がらせる。
唯一しっくりいかなかったのが、柳憂怜が演じた青年期の真知寿と、ビートたけしが演じた晩年の真知寿に距離の開きを感じた点だ。それは、ビートたけしというあまりに大きい存在が、そう感じさせてしまったのかもしれないが、寡黙で存在感の薄かった優男が、やたらと奇行をくり返すくだりや、自分の娘に無関心すぎる描写には、人格的な齟齬を感じざるを得なかった(あるいは、年月の経過に伴う人格の変化としてとらえるべきなのだろうか…)。
樋口可南子や麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、大杉漣、大森南朋など、主人公を取り巻くキャストの陣容は文句なしの一線級で、作品全体に安定感をもたらしている。本作でデビューした子役の吉岡澪皇くんもナイスな仕事ぶりだ。
「芸術の価値とは?」——その問いに対する北野流の回答をどこに見つけるかは、人それぞれだろうが、私は、主人公の真知寿が生涯かぶり続けたベレー帽にあると、解釈している。おそらく、芸術の価値とは、それ以上でもそれ以下でもない。
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