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「P.S.アイラヴユー」

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2008.10.16
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10月18日より公開される「P.S.アイラヴユー」。
監督・脚本:リチャード・ラグラベネーズ 原作:セシリア・アハーン 脚本:スティーブン・ロジャース 出演:ヒラリー・スワンク、ジェラルド・バトラー、キャシー・ベイツほか 上映時間:126分 配給:2007米/ムービーアイ=東宝東和
最愛の夫ジェリー(ジェラルド・バトラー)が病死してから3週間後、失意のどん底に沈む妻ホリー(ヒラリー・スワンク)のもとに、亡きジェリーから贈り物が届く。それ以来、定期的にジェリーから手紙が届くようになり、ホリーは少しずつ元気を取り戻すが……。


死別。それは、人間にとって避けては通れない道だ。たとえば、若くして子供を亡くした場合、あるいは、若くして伴侶を亡くした場合、その哀しみはなおさら図り知れない。本作「P.S.アイラヴユー」は、そうした人類普遍の感情にフォーカスしながら、死別による哀しみからの再生をつづった物語だ。
この映画の目玉アイテムである“故人の手紙”。そこから読み取れるのは、妻に対する夫の愛情の深さにほかならない。でなければ、妻の絶望をあらかじめ予見して、彼女を励ますべく自分の死後にサプライズを用意しようなどと、だれが考えつくだろうか。
もし故人の気配を感じ取ることができたら、残された者はどんなに幸せだろう。ジェリーの手紙は、ホリーにその感覚をつかませるためのレッスンのようなものだ。「ぼくはここにいるよ。だから安心して君は君の人生を歩くんだ」——ジェリーが言いたいのは、おそらくただそれだけだ。
ただ一方で、この作品は、そうした“故人の手紙”にバカ正直なほど肯定的というわけではない。“故人の手紙”——それは遺族の心を過剰に故人に引き止めるだけではないだろうか? そうしたジレンマからも目を背けずに、ホリーの困惑をありのままに描いている点は評価したい。
と同時に、時折、故人の姿や昔の思い出をオーバラップさせた演出は、映画ならではの視覚効果を巧みに利用したもので、ホリーの複雑な胸の内を知る装置としても機能している。
それにしても、ジェリーがあまりにも人間的に“できすぎ”なのは、いかがなものだろう。余命幾ばくもないジェリーに気弱さはなかっただろうか? 手紙に書いてあった言葉通り、本当に人生に悔いはなかっただろうか? 残念ながら、彼のできすぎた人間性は、この映画のリアリティの乏しさとイコールだ。
加えて、本作では余命半年の宣告を受けてから死に至るまでの経緯をバッサリと割愛しているが、夫婦としての本当の絆の物語は、その半年にあったことに疑いの余地はなく、そこを完全にスルーしたご都合主義には、あえて苦言を呈したい。
せめて、手紙というツールと絡めながら、夫婦が「死を受け入れて」、あるいは「死を受け入れられずに」すごした、ふたりが最も絆を深めたであろう半年間のエピソードを回顧するようなアイデアがほしかった。
ちょっぴり神経質なホリーと、明るく度量の広いジェリー。この夫婦は実にお似合いだと思うが、ヒラリー・スワンクは、どうひいき目に見てもミスキャストだ。新境地を狙ったのだろうが、この女優に限っては、やはり自立した男っぽい役どころのほうが似合う。同じリチャード・ラグラベネーズ監督と組んだ「フリーダム・ライターズ」(07年)で演じた主人公のような。
故人の手紙という設定はユニークだが、その設定をリアルな物語へと昇華しきれなかった本作「P.S.アイラヴユー」。結局、遺族を支えるのは、故人ではなく、身内や仲間をはじめとした生きている人たちなのだ。ロマンチックなのは構わないが、その結論だけは、もっと強く打ち出したほうがよかっただろう。

お気に入り点数:55点/100点満点中

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