「ディファイアンス」
2009.2.17
公開中の「
監督・製作・脚本:エドワード・ズウィック 原作:ネカマ・テク 脚本:クレイトン・フローマン 出演:ダニエル・クレイグ、リーブ・シュレイバー、ジェイミー・ベル、アレクサ・ダヴァロス、アラン・コーデュナー、マーク・フォイアスタイン、ミア・ワシコウスカほか 上映時間:136分 配給:2008米/東宝東和
第二次世界大戦下。ナチスの迫害は東ヨーロッパにおよんでいた。両親を殺されたユダヤ人のトゥヴィア(ダニエル・クレイグ)とその兄弟は、ベラルーシの森へ逃げ込む。はじめは数人だったが、迫害から逃れてきたユダヤ人が次々と集まり、いつしかひとつの共同体が生まれようとしていた……。
森に逃げたユダヤ人が、秩序ある共同体を作り上げながら、三年ものあいだ森での厳しい生活を送った——。そうした知られざる史実を伝えようという心意気だけでも、十分に評価して然るべき作品だろう。
知恵と力を出し合って生きていこうとするユダヤ人同胞。注目したいのは、彼らが単に森に身を潜める「逃亡者」としてではなく、森に身を潜めながらも「人間」の尊厳を失わずに生きようとした点だ。極限の環境下で人間らしく生きようとする彼らの姿を通じて、人間が生きることの意味と価値があぶり出される。
この映画は、共同体のリーダーであるトゥヴィアを判で押したような英雄としては描いていない。むしろ彼は、悩みもし、迷いもし、ときに判断を誤り、責任の重さにつぶされそうにもなる、そんなごく普通の人間として描かれている。それは史実に対する制作者の解釈でもあるのだろう。
森でナチス兵士を捕らえたときや、共同体の身内に反逆者が出たときに、トゥヴィアがどういう判断を下したか。そこに彼のリーダーとしてのスタンスを見ることができる。彼は教祖でもカリスマでも聖人君子でもない。ひとつ言えるとしたら、トゥヴィアは同胞を守るために最善と信じる判断を一貫して下してきた、ということであり、個人的な感情や道徳観を判断基準にはしていなかったということだ。
ナチスの蛮行、共同体の規律やシステム、家族の絆、仲間同士のいさかい、ラブロマンス、ゲットーの実状、アクション(戦闘)……等々、さまざまな要素を盛り込みながらも散漫な印象を受けないのは、エドワード・ズウィック監督の手腕の賜物か。終盤はやや美談風にまとめられすぎているきらいはあるものの、そこは、絶妙なサジ加減ということにしておこう。
知られざる史実と人物を描くに際して、現役のジェームズ・ボンドを起用するのはいかがなものだろうと思っていたが、そうした心配も杞憂に終わった。ダニエル・クレイグは、深みのある演技力で、苦悩するリーダーという難役を見事に演じきった。
劇中、仲間の結婚を祝ってユダヤ人が森でにぎやかに踊る場面で、同時刻に他所でくり広げられていた戦闘の映像がオーバーラップして映し出される。「希望に満ちた至福の瞬間」と「死神が手招きする修羅場」。その鮮烈なコントラストに、この映画のテーマが内包されている気がした。
本作「ディファイアンス」は、単にユダヤ人の悲劇を描いた戦争映画とは一線を画す作品だ。意志と尊厳を持つ人間として、守るべきもののために抵抗(ディファイアンス)し、最後まであきらめずに生き抜こうとした人々の魂を描いたヒューマンドラマである。
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