映画批評「グラン・トリノ」
2009.5.7 映画批評
公開中の「
監督・製作:クリント・イーストウッド 原案・脚本:ニック・シェンク 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーブンスほか 出演:クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリーほか 上映時間:117分 配給:2008米/ワーナー
かつて朝鮮戦争を戦った元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、家族や周囲の人たちから“扱いにくい老人”として疎まれていた。そんな彼の隣家に住む少年タオ(ビー・バン)のファミリーは、モン族というアジア系の移民。ある事件をきっかけに交流を始めたウォルトとタオだったが、タオと地元の不良少年たちとのあいだでトラブルが起き……。
シンプルな構造の物語であるにもかかわらず、そこに込められた示唆は濃厚にして多元的だ。これが希代の芸術家の底力なのか。観客の人生観をゆさぶるに十分なインパクトを備えた映画である。
1930年生まれのイーストウッドの創造力は枯渇するどころか、齢(よわい)八十を前にますます旺盛だ。彼の潤沢な瞳に、この世はどのように写っているのだろう? 本作「グラン・トリノ」を通じて、彼の思想や哲学、死生観をリアルタイムで共有できることは、同時代に生きる私たちの特権といえるだろう。
主人公ウォルトの半径数キロ(数百メートルかも)という小さなエリアの話である。しかしながら、そこから放たれるメッセージは、世界中の人々はもとより、後世にも間違いなく届けられるものだと断言できる。
ウォルトは苛立っている。息子家族に。若者に。軍人時代に犯した過ちに。時代の移り変わりに。アメリカという国に。老いに。もっと言えば、老いてもなお答えの出ない人生の意味に。その苛立ちが、かたくなで気むずかしい彼の心をより強固にコーティングする。ウォルトにとって信じられるのは、常識でも法律でも、ましてや周囲の評価や価値観でもなく、高潔とも不遜ともつかない己の正義にほかならない。
苛つく対象に対して、ウォルトは容赦なく攻撃に出る(ときに相手に銃口さえ向ける)。なかでも、ならず者の不良少年たちは、ウォルトがもっとも嫌悪する連中だ。ウォルトは、彼らの愚行を見すごさない。ウォルトが徹底しているのは、そんな不良少年たちに弱腰な者にさえ手厳しいことだ。彼の正義が俗にいう「義侠心(強い者をくじき、弱い者を助ける気性)」と異なる点は、この映画を読み解くうえで無視できない。
そんなウォルトが、隣家に住むモン族の一家に対してだけは「どうにもならない身内より、ここの連中のほうが身近に思える」と、気持ちを溶解させる。温厚かつ誠実で、他者に敬いの心をもつ彼らの人間性が、ウォルトの心にぽっかりと開いた穴を埋める。とりわけ人種も世代も異なる少年タオとの交流を通じて描かれる二世代(少年と老人)の成長は、この映画の大きな見どころだ。少年は人生を切り開くために必要な勇気を学び、老人は人生の終末期にまっとうすべき使命を見つける。
タオをはじめ、息子家族、不良少年たち、床屋の主人、隣家の婆さん、教会の若神父など、あらゆる人たちとの交流やいさかいを通じて、この映画は、ウォルトの人間性を多角的に浮かび上がらせる。戦争体験、勲章、ビール、タバコ、教会、銃、芝刈り、差別用語、ツバ吐き、ガレージ……等々、一つひとつのモノや仕草も、たしかな必然のなかにある。その極めつけが、ウォルトの人生を象徴するビンテージカー「グラン・トリノ」の存在だ。たった1台のクルマで、アメリカという国の過去と現状を、さらには主人公のこれまでの人生と今置かれた立場までも語らせてしまう。なんというスマートさ、なんという鮮やかさだろう。
ラストシーンに込められたメッセージは、ウォルトという人間の真価に迫ると同時に、人間という生き物の真価に迫るものでもある。果たして人間の成功とはどこにあるのだろう? 生きる価値とは? 生きる意味とは? 正義とは? 罪とは? ウォルトの下した決断は、何を伝えようとしているのか? まだ本作を鑑賞していない方は、ぜひ予備知識を入れることなく、まっさらな心でこのラストシーンを味わってもらいたい。そこで抱く感慨は、人生においてひとつの指針となるはずだから。
それにしても、自らの軽率な行動に端を発したある事件を通じて、ウォルトに感情移入させる中盤以降の伏線張りがお見事だ。おかげで観客は「自分がウォルトだったらどうする?」と自問自答することを余儀なくされ、なおかつ、自身が導き出した答えと(おそらく)かけ離れたウォルトの決断に衝撃を受けることになる。
直近の20年だけを見ても、監督として常に“自身最高傑作”を生み出し続けているクリント・イーストウッドだが、本作「グラン・トリノ」も、その流れを受け継ぐ1本。最高到達点といっても言い過ぎではないだろう。なお、エンディングで流れる主題歌は、イーストウッドが実子のカール・イーストウッドと共作した名曲だ。ラストの余韻をより深める哀愁の旋律が、いつまでも耳の奥でリフレインする。
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