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「バンコック・デンジャラス」

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2009.5.13
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公開中の「バンコック・デンジャラス」。
監督:オキサイド・パン、ダニー・パン 製作:ニコラス・ケイジ 撮影:デーチャー・スリマントラ 美術:ジェームズ・ニューポート 出演:ニコラス・ケイジ、チャーリー・ヤン、シャクリット・ヤムナーム、ペンワード・ハーマニーほか 上映時間:100分・R-15 配給:2008米/プレシディオ
舞台はタイのバンコック。自分に課したルールを遵守しながら、暗殺者としてこれまで完璧に仕事をこなしてきたジョー(ニコラス・ケイジ)だったが、暗殺者としての能力が低下する前に引退しようと、ある組織から最後の仕事となる4件の暗殺依頼を受ける。ジョーは地元のチンピラのコン(シャクリット・ヤムナーム)を手下に雇うが……。


「ゴーストハウス」(07年)でハリウッド進出を果たしたアジアの俊英オキサイド&ダニー・パン兄弟の、ハリウッド第2弾となる本作「バンコック・デンジャラス」は、パン兄弟がかつて制作した「レイン」(99年)に大幅な変更を加えて撮影したセルフリメイク作だ。
主人公は孤高の殺し屋だ。孤高の殺し屋といえば、腕が立つのはもちろん、知的で冷静、なおかつ用意周到にミッションを遂行するのが常。本作の主人公ジョーも、かつてはそうした男だったのだろう。ところが、この映画の冒頭、すでに殺し屋としての「引き際」を考えている極めて情緒不安定な男として、ジョーは登場する。
仕事の痕跡を消すためには味方さえ始末する非情な男(のはず)が、フォンという聾唖(ろうあ)の女性(チャーリー・ヤン)とあっけなく恋に落ちるくだりが、この作品をお安くしている。人間はしょせんそんなものだ、と言われれば反論できないが、仮にも現役の殺し屋である男の行動としては軽率そのもの。弟子のコンにはやたらと講釈するが、自分の行動は隙だらけ。そこに殺し屋としてのポリシーや威厳、美学がまったく感じられないのは寂しい限りだ。
この作品が、引退間際の殺し屋の「気持ちの変化」を描こうとした狙いは分かるが、ジョーの殺し屋としてのリアリティがあまりに乏しすぎる。「気持ちの変化」を描くことに対する意志も薄弱で、思わせぶりなダッチロールをくり返した末、思い出したかのように、ジョーはハードボイルドな母艦に帰着する。
はてな、この男のポリシーはどこにあったのだろうか? いや、この男、ではなく、この映画、というべきか。
脚本のネジも増し締めされていない印象だ。たとえば、フォンの背後で起きたある事件では、フォンの“聾唖”という設定を中途半端にしか活かしきれていない。また、陰謀に巻き込まれていくジョーの犯罪ドラマと、フォンやコンとの交流を描いた人間ドラマを終盤で収斂させる手腕も今ひとつ。それでいて、ナルシシズム激しいラストだけはご立派だ。
陰影をつけた映像や、効果的なストップモーション、異国情緒あふれる街の描写、スピード感あふれるボートチェイスなど、随所に非凡なセンスがちりばめられているが、腕利きの殺し屋として生き抜いて来たとは到底思えないジョーの言行不一致がいかんせん致命傷。それは「ワタクシ引退間際の身ですので……」という弁解で斟酌できるレベルの問題ではない。
粗暴で孤高な殺し屋というキャラクターは、ニコラス・ケイジが得意とするところだが、そのアドバンテージが実ることも最後までない。鑑賞後の脱力感が小さくない作品だ。

お気に入り点数:30点/100点満点中

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