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映画批評「すべては海になる」

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2010.1.30 映画批評
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公開中の「すべては海になる」。
監督・原作・脚本:山田あかね 主題歌:SPANK PAGE 出演:佐藤江梨子、柳楽優弥、要潤、安藤サクラ、猫背椿、藤井美菜、森岡龍、吉高由里子、村上淳、松重豊、白井晃ほか 上位時間/119分 配給:2009日/東京テアトル
27歳の書店員、夏樹(佐藤江梨子)は、本好きを買われ、「愛のわからないひとへ」というコーナーを任されていた。ある日、夏樹は万引きをしたはずの女性を捕まえるが、彼女のかばんからは何も出てこなかった。店長共々、女性の家に出かけて謝罪するも、女性の夫の怒りを買ってしまう。ところが翌日、女性の息子、光治(柳楽優楽)が書店にやってきた。彼は夏樹や店長に、もう謝りに来なくていいと伝えるが……。


空虚な恋愛ばかりをくり返す夏樹と、崩壊寸前の家族のなかで孤軍奮闘する光治。愛とは何だろう? 家族とは何だろう? 人生とは何だろう? というシンプルな問いに答えを出せぬまますっきりとしない日々を送るふたりには、「本好き」という共通点があった。映画は、人生のよりどころを「本」に求めるふたりが、立場や年齢を超えて、少しずつ打ち解けていく様子を描く。
本に特別な思いを寄せる夏樹とは反対に、夏樹が逢瀬を重ねる鹿島(要潤)は、本を「商売」として割り切る出版社の営業マンだ。この対極的な描写が示す「文化的価値のある作品 vs ビジネス」の関係性がなかなか興味深い。
たとえ文化色の強いものであれ(本や音楽や映画など)、商業システムに組み込まれたものは、常に「利益」と「表現」の挟間で葛藤を強いられる運命にあるといえる。「売れるものを作れ!」というレコード会社のお偉いさんと、「俺たちは俺たちの音楽があるんだよ!」と机を叩いて会議室を出て行くバンドマンの関係みたいなものだ。それはどちらがいい悪いではなく、配合の問題というべきものかもしれない。夏樹の態度を「純粋」ととらえるか「青臭い」ととらえるか、見方は人によってさまざまだろう。
本には俗に「行間」と呼ばれる“言葉にならない部分”が存在するが、その「行間」は、あくまでもその本と対峙した人間が「感じる」ものでしかない。小説を原作とした映画化が難しい理由もそこにある。行間を伝えなければ意味がないが、行間を具体的に伝えようとすればするほど、冗長かつ講釈めいたものとなる。この作品にも、ある本(物語)を映像化して示すシークエンスがあるが、果たしてそれが本の「あらすじ」以上の「何か(行間や本質)」を伝えるに至っているかは疑問だ。
とはいえ、本作で初めて映画作品のメガホンを取った山田あかね監督は頑張ったほうだと思う。前述のシークエンスのほかにも、歯の浮くようなセリフや演出過剰なシーンが散見するのは事実だが、一方で、主人公のふたりを「本」ではなく、リアルな「人間関係」のなかで成長させていこうという狙いも十分に感じられた。それは、夏樹と光治が最終的に「何に救われたか」にも表れてる。
佐藤江梨子と柳楽優弥という内向的なベクトルをもつ役者を起用したキャスティングもまずまずで、彼らの素を引き出しながら、地に足の着かない不安定な若者の心情を違和感なく浮かび上がらせている。白黒をはっきりさせたがる大人には向かない作品だが、愛や生き方に迷い、ときに自分や他人を傷つけてしうこともある10〜20代への処方効果は小さくないだろう。

お気に入り点数:55点/100点満点中

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