映画批評「恋するベーカリー」
2010.2.19 映画批評
本日公開の「
監督・製作・脚本:ナンシー・マイヤーズ 出演:メリル・ストリープ、アレック・ボールドウィン、スティーブ・マーティン、ジョン・クラシンスキー、ハンター・パリッシュ、ゾーイ・カザン、ケイトリン・フィッツジェラルドほか 上映時間:120分・R15+ 配給:2009米/東宝東和
人気ベーカリーを経営するジェーン(メリル・ストリープ)は、10年前に弁護士のジェイク(アレック・ボールドウィン)と離婚。女手一つで子供3人を育て上げた。ある春、ニューヨークのホテルのバーでジェーンが飲んでいると、そこに偶然ジェイクが現れ、ふたりは久しぶりにディナーを楽しむ。酔うがままに盛り上がったふたりは、こともあろうか一緒の部屋へ……。
10年ぶりに恋を再燃させたジェーンとジェイク。ジェイクは今では別の家庭を持つ身につき、ふたりの関係は立派な不倫だ。とはいえ「だったら最初から離婚するなよ!」というツッコミは無粋だ。その一見理解し難いふたりの気持ち——本人たちでさえ予期せぬ心の揺れ——こそが、この映画の一番の見どころなのだから。
「今」のふたりと「10年前」のふたりは同じではない。両者のあいだには10年分の「人間的成長」があるからだ。四六時中一緒にいれば気づきにくい「成長」も、他人の関係が10年も続けば一目瞭然。しかも、ジェーンは慢性的に寂しさを抱え、ジェイクは今の家庭に居心地の悪さを感じていた。そんなふたりがなんとなくいいムードになり、ベッドまで共にしてしまう……。肯定する気はないが、広い世の中、まあ、こういうこともあり得なくはないのだろう。
この一夜の情事を経て、ジェイクの気持ちは一気に盛り上がるが、ジェーンのほうは罪の意識に苛まれる。追いかけるジェイク、かわすジェーン。でも追いかけるジェイク、つい誘いに乗ってしまうジェーン。なにやってんだか、という展開ながら、恋という感情を前に人間が無力な存在であることは有史以来の常識。罪の意識があろうが、他人に幼稚と思われようが、人を傷つけようが、どうにもこうにも止まらないこともある。メインターゲットはアラフォー世代以上。恋愛経験が豊富な“オトナ”ほどジェーンやジェイクに共感できるはずだ。
監督は「恋愛適齢期」(2003年)や「ホリデイ」(2006年)のナンシー・マイヤーズ。中盤にジェーンとジェイクがくり広げる丁々発止のやり取りでは、メリル・ストリープとアレック・ボールドウィンのコメディセンスが遺憾なく発揮され、修羅場ながらも客席から小気味よく笑いを引き出す。全編に渡って下ネタ寄りのユーモアがちりばめられているが、とりわけジェイク捨て身の「ベッド突撃大作戦」はその真骨頂(これは笑えた)。これぞ文字通り“体当たりの演技”である。
一方、ジェイクとはまったく異なるタイプのアダムという敏腕建築士(スティーブ・マーティン)を登場させることで、物語は確信犯的に三角関係へとシフト。3人のあいだには「摩擦」や「誤解」や「嫉妬」が連鎖的に発生し、いよいよジェーンは抜き差しならぬ状況に追い込まれる。果たして最後に彼女が下した決断とは……? 鑑賞後に残る余韻もまた“オトナ”好みといえよう。
「人気ベーカリーの経営者」という設定がほとんど生かされていないのが残念だが、唯一、ジェーンがアダムにクロワッサンをふるまうシーンだけは強い印象を残す。焼きたてのクロワッサンをサクっと食すアダム。その表情は「幸せ」で満ち足りている。もちろん、この「幸せ」の成分を分析するなら、「焼きたてのクロワッサン」<「焼き立て(生まれたて)の恋」ということになるのだろう。
メリル・ストリープとアレック・ボールドウィンとスティーブ・マーティンの3人で計180歳に迫ろうかというところだが、そうした年齢を感じさせないほど生き生きと元気な作品に仕上がった壮年ラブコメディ「恋するベーカリー」。今どきのクールな若者の恋よりも、こうした“オトナ”の恋のほうが断然おもしろい!?
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