映画批評「ジョニー・マッド・ドッグ」
2010.4.28 映画批評
公開中の「
監督・脚本:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール 製作:マチュー・カソヴィッツ、ブノワ・ジョベール 原作:エマニュエル・ドンガラ 撮影:マルク・コナンス 出演:クリストファー・ミニー、デージ・ヴィクトリア・ヴァンディほか 上映時間:98分 配給:2007仏・ベルギー・リベリア/インターフィルム
「ホテル・ルワンダ」(2004年)然り、「ツォツィ」(2005年)然りだが、貧困や紛争、暴力といったアフリカのリアルな社会問題に迫った映画には、しばしば打ちのめされる。それは、アジアの片隅で、貧困や紛争とは無縁の生活を送る私たちにとって、アフリカで起きている厳しい現実がまるで絵空事のように見えてしまう、その無自覚さに対する衝撃を含んでもいるのかもしれない。いずれにせよ、これほど強いインパクトをもつ作品が、全国の5つの劇場でしか見られないというのは、なんとも哀しいことである(現時点ではシアターN渋谷のみ)。
内戦で混沌を極めるアフリカのリベリア共和国。少年兵のコマンド部隊は、反政府軍を名乗って、虐殺や強奪、レイプなどの残虐行為をくり返していた。“マッド・ドッグ”の異名を取る15歳のリーダー、ジョニー(クリストファー・ミニー)は、凶暴化した初年兵たちを率いて、上層部(大人たち)から指示された任務を愚直に遂行していた。やがて戦況の変化や、親しい仲間や恋人の死を通じて、凶暴な兵士ジョニーの感情も変化していくが……。
子供はよく「スポンジ」に例えられる。驚くほどの吸収力で物事をのみ込んでいく。殺人マシンを育て上げるなら、理性や経験を持ち合わせた大人たちではなく、まだ何色にも染まっていない少年たちを洗脳したほうが確実だ。しかも、初めて色をつけられる子供たちは、自分が染め上げられた色の世界を疑うことをしない。しないというよりも、その世界の外側にほかの色の世界が存在することが想像できないのである。子供とはそういうものだ。
少年兵たちは、何の罪の意識もなく、人々に銃を向け、その引き金を引き、物品を略奪し、女性をレイプをする。目を覆いたくなるシーンの数々を手持ちのカメラが生々しくとらえる。戦場ドキュメンタリーかと思うほどの至近距離で撮影した迫力&リアリティ満点の映像は、少年たちの“無邪気”な残虐性を、ダイレクトに、スピーディに、エモーショナルに、エキサイティングにとらえる。大義も正義も、ましてや希望など微塵もない戦況下で、ゲーム感覚で殺人を犯す少年兵たち。映画は、彼らからほとばしる野性と生命力を活写する。
恐怖心をかき立てられる冒頭より93分間、観客は、延々と自分たちの頭に銃口を突きつけられたような気持ちにさせられる。これを悪夢と言わずに何と言おう。観客は、圧倒的な緊張を強いられ、戦場に放り込まれる。むろん、それとて疑似体験には違いないのだが、平穏無事に暮らすわれわれには堪え難いほどのストレスだ。加害者でもあり犠牲者でもある子供たちの未来を慮るとき、この作品の痛烈なメッセージが聞こえてくる。
本作「ジョニー・マッド・ドッグ」は、アフリカのリベリアで実際にあった紛争をモデルにしながらも、少年兵士たちが所属する軍名や政治組織名などは明確にしていない。それは史実を正確に記すというよりは、戦争そのものの不条理さと恐怖を先鋭化させるためなのだろう。しかもそこに疾走感や緊迫感、臨場感といった演出上のスパイスを加味することで、見応えのあるエンターテインメントへ昇華されている。“狂気”という名の鼓動が聞こえてくる傑作だ。
最後に、出演した15人の少年が、500〜600人のなかからオーディションで選出された「元少年兵」だということを付け加えておこう。
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