映画批評「ガールフレンド・エクスペリエンス」
2010.7.6 映画批評
公開中の「
監督・撮影:スティーヴン・ソダーバーグ 製作総指揮:マーク・キューバン、トッド・ワグナー 脚本:ブライアン・コッペルマン、デヴィッド・レヴィーン 音楽:ロス・ゴッドフリー 出演:サーシャ・グレイ、クリス・サントス、マーク・ジェイコブスンほか 上映時間:77分 配給:2009米/東北新社
「セックスと嘘とビデオテープ」(1989年)、「トラフィック」(2000年)、「オーシャンズ11」(2001年)シリーズ、「インフォーマント!」(2009年)などでおなじみのスティーヴン・ソダーバーグ監督が、主演に人気No.1ポルノ女優サーシャ・グレイを大抜擢した本作「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、顧客に「恋人のようなひととき」を提供する高級エスコート嬢の日常を描いた物語だ。
ニューヨーク在住の高級エスコート嬢(高級コールガール)。1時間で2000$を稼ぐ主人公のチェルシーは、エスコートクラブに属するわけでもなく(「中締め」はいない)、みずから集客用のウェブサイトを立ち上げ、それを管理・運営しながら(検索エンジンの上位表示対策も実施)、「自分」という商品の価値を高めるパーソナルブランディングを展開。自分を磨くために、必要だと思ったことには惜しみなく自己投資していく。
少なからず危険を伴うエスコートの仕事をセルフマネージメントしていくのは並大抵のことではない。しかし彼女は、独自の判断基準で顧客を選別。必要とあらば、ウェブ上で影響力をもつ批評家(エロチック鑑定家)にすり寄りもする。顧客の好みに合わせて服や下着を新調するなど、持ち前の美貌やスタイルにおごることなく、完璧なサービスを追求するプロフェッショナルな姿勢には脱帽せざるを得ない。
物語は、そんなチェルシーの一挙一動をつぶさに追う一方で、その背景に、リーマン・ショックによる経済破綻の余波を受けるニューヨークの世情(2008年10月当時)を描き出す。チェルシーの顧客には企業の経営者やトップビジネスマンも少なくないが、行き先不透明な社会においては、一見屈強そうな彼らよりも、自分自身の嗅覚を頼りに生き抜くチェルシーのほうがしたたかに見える。こうしたアイロニーを混ぜ込むことによって、本作「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、チェルシーという「個の生き方」を超えて、雑多な人々が交錯するニューヨークという「大都市の現実」を映す映画にもなっている。
長年連れ添ったパートナー(恋人)との別れをはじめ、いくつかのすれ違いや裏切り、誹謗・中傷にあって傷つくチェルシーが、再び自身の持ち場に戻っていく展開には、「マイレージ、マイライフ」(2009年)に通じる人生観の帰着がうかがえる。高級エスコート嬢が「ふつうの女性」として“幸せ”に気づき、それを手にするという安直な結末を回避した点を評価したい。
最新鋭のデジタルカメラ「RED ONE」を駆使したドキュメンタリー風の絵作りには、<洗練>と同時に、映画好きの青年が撮影したかのような<初期衝動>が感じられる。ソダーバーグ監督の原点回帰作といってもいいだろう。街の鼓動を表現した音楽や、ニューヨークの街や人をシャープに捉えたスケッチ力など、創造性を武器にした確かな演出力にも注目だ。娯楽性は微量。ツウな映画ファンにこそオススメしたい作品だ。
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